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江東区・平久橋と洲崎神社の波除碑 2008年12月2日(火)

本日も神社めぐりでしたが、この項目は独立したエントリーとします。


120208 099  120208 077
東京都指定有形文化財(歴史資料)

波除碑(なみよけのひ)

所在地 江東区深川牡丹三-三三
平久橋西詰地
指定 昭和十七年九月

寛政三年(一七九一)九月深川洲崎一帯に襲来した
高潮によって付近の家屋がことごとく流されて多数の
死者、行方不明者が出た。
 幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から西のあた
り一帯の東西二百八十五間、南北三十余間、総坪数五
千四百六十七余坪(約一万八千平方メートル)を買い上
げて空き地とした。そして空き地の両端の北地点に波
除碑を二基 建てた。当時の 碑は地上六尺、角一尺であ
ったという。
 碑はほとんど旧状を失っており、特に平久橋碑は上
部約三分の二を失っている。位置は旧地点を若干移動
しているものと思われる。
 建設は寛政六年(一七九四)頃。碑文は伝屋代弘賢、
品質は伊豆ケ村石(砂岩)。
総高百三十・八センチメートル。

平成十二年三月 設置
                   東京都教育委員会


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津波警告の碑
一面
寛政三年九月四日暴風雨による津波が襲来したこの付近一帯の家屋
も住民も海中に押し流されて被害はなはだしく以来幕府はこの付
二面
近を空地とし家屋を建てることを禁じ津波襲来を警告して寛政六
年今の洲崎神社と平久橋付近の二箇所に津波警告の碑をた
三面
てた両碑は大正十二年震災と昭和二十年戦災によって破損した
              昭和三十三年十月一日 江東区第三号




120208 075 120208 113 
平久橋の碑をあとにして橋を渡り、ほぼ直進して三ツ目通りの先に洲崎神社が見えてくる。


120208 119

東京都指定有形文化財(歴史資料)

波除碑

所在地 江東区木場六-一三 -一三 洲崎神社境内
指定 昭和五一年六月 四日

 寛政三年(一七九一)九月四日、深川洲崎
一帯に襲来した 高潮によって付近の家屋がこ
とごとく流されて多数の死者、行方不明者が
出た。

 幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から
西のあた り一帯の東西二八五間、南北三〇余
間、総坪数五,四六七余坪(約一万八千平方メ
ートル)を買い上 げて空き地としこれより海側
人が住むことを禁じた。そして空き地の東北
地点(洲崎神社)と西南地点(平久橋の袂)
に波 除碑を建てた。当時の 碑は地上六尺、角
一尺であ ったという。
 石碑は砂岩で脆く、震災と戦災によって破
損が著しい。現在地は原位置から若干移動 し
ているものと思われる。
 建設は寛政六年(一七九四)頃で碑文は屋
代弘賢によるものと言われている。
  平成四年三月三一日 建設
            東京都教育委員会



120208 139
津波警告の碑の文面は平久橋と同じ。ただしこちらは江東区第四号 。

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碑文は十方庵敬順が『遊歴雑記』に記録しているが、
以下孫引きのため仮記載です。

此処寛政三年波あれの時家流れ人死するもの少なか
らず此後高なみの変はかりがたく流死の難なしといふべ
からず是によりて西は入船町を限り東は吉祥寺前に至
る迄凡長さ二百八十五間余の処家居取払いあき地に
なしおかるるもの也寛政六年甲寅十二月日


この高潮災害について、ネットで情報を得ようとしても無駄でした。
足で歩くこととしかるべき文献に当たることに勝るものはありません。
こんなとき『東京市史稿』があればよいのですが、手許にあるものでは。
『武江年表』(ちくま学芸文庫『定本武江年表』今井金吾校訂)から引きます。

○九月四日(陽暦10月1日)、大嵐、昨夜中より大雨、南風烈く、八月より強し。
巳刻、高潮、深川洲崎へ漲りて、あはれむべし、入船町・久右衛門町壱丁目弐丁目と唱へし吉祥寺門前に建つらねたる町家、住居の人数と共に一時に海へ流れて、行方を知らず。弁才天社損じ、拝殿・別当所、其外流失。其かへしの浪、行徳・船橋塩浜一円につぶれ、民家流失す。其外諸方家屋吹損じ、川々水溢る。昼時にいたり潮引く。関東筋すべて洪水あふる(諺に云、蟹陸へ多く這上るは、津波の兆也と。此時既にしかりといへり。心得べし)。洲崎の地、其后高浪の変計りがたしとて、西は入船町限、東は吉祥寺門前に至る迄、凡長弐百八十五間余の家居を取はらひ、畾地になし置る(此内、西のかた入船町跡は、渋江氏薬草栽付場となれり)。
 筠庭云、九月三日雨ふり、その夜、大風雨。四日、雨小ぶりになりしかど、風猶はげしく、巳刻頃、大ぶりとなり、八月六日夜よりは強く、昼より晴。此節、廻船三艘吹流し、永代橋を突抜け、一艘は橋間にかゝり、二艘は中洲まで流る。橋間にかゝりし船は、八月六日、相川河岸に吹上られたるが、深みに出し兼てありしを、又々風波の為に深みに出たり。是ばかりはこぼれ幸といふべし。又、新堀御舟倉吹潰し、洲崎辺は先の嵐に残りたる人家残らず流失。八月の水より一尺余も高し。

(中巻 pp.126-7)
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  1. 2008/12/02(火) 22:33:41|
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