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神田小社めぐりとパレスサイドビル 2008年11月7日(金)

注:ほとんど一眼で撮影していますが、画角が異なるのはコンデジ撮影分です。

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震災記念碑。東京メトロ千代田線新お茶の水駅B3出口。

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「めん徳二代目つじ田」(小川町1-4)に11時過ぎに行ってみたら5人並んでいました。
席数16、従業員8名。ステンレスは、きれいにしている。二代目つけめん(1,080円)を
いただきました。スープは「青葉」の味が決まらなかったときのような印象でした。


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聖観世音(神田淡路町2-23) 観音坂上の辻にある。


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快晴になってきたので雉子橋を渡り、

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毎日新聞社パレスサイドビルに来ました。

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屋上ではみんな飲食してますが。

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毎日神社(千代田区一ツ橋1-1-1 パレスサイドビル屋上)

毎日神社 由来
本神社は昭和十四年、(一九三九年)十月二
十日毎日新聞社機「ニッポン」号による同社
主催 世界一周大飛行の完成記念として創建
された 祭神は天照大神 産土神日枝大神な
らびに飛行の平安完遂を祈願し全国読者から
寄進の御神符が奉安されている
同航空機は中翼単葉の双発機で翼長二五㍍
・全長一六㍍の純国産 当時の日本航空科
学の粋を集めて製作された 全航程五万三
千㌔ 北太平洋横断無着陸飛行に成功 空
の難関といわれた南米アンデス越えの新記
録や大西洋横断の快記録など 世界航空史
に不滅の光彩を放っている

祭日 例大祭十月二十日 月例際二十日


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本当はネ、撮影禁止なんです。皇居側には(と言っても東御苑に皇室がいらっしゃる
わけでもないのですが)警備員がおりまして、ひとまず注意はされます。
NHKがここを紹介したために、大量の一般客がおしかけて撮影するもんだから、
しかるべきところからクレームがついてその対処が撮影禁止の表明というわけです。
だから1階の受付で撮影の許可を願い出ても、一切許可されることはないとビル管理
から返答されることになるのです。ここから先は以心伝心、阿吽の呼吸の世界です。
それにしても屋上の開放時間の皇居は強い逆光になるので難しいね。
不二ラテックスのビルもあります。

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妙法衛護稲荷(神田神保町3-29)


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日本橋川を俎橋に歩く。

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九段下ビル(神田神保町3-4靖国通り)
ネットがかけられているが、もう取り壊しということなのだろうか。
背後が更地になっています。

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傳蔵地蔵尊(西神田3-4堀留橋東詰)

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開徳稲荷(神田神保町2-14)


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愛全地蔵尊(神田神保町2-10)

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向かいの神保町愛全公園には周恩来ここに学ぶの碑が。


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三崎稲荷神社(神田三崎町2-9-12)


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御成道の案内板(神田須田町1-25高架下)
位置が高いし字が細かいし、汚れているし。

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神田須田町1で見かけた。
藍染稲荷(岩本町2-16岩本町MMビル)を探してわからず、
聞いたところでは3年ほど前になくなってしまったという。
このビルの奥にあったらしい。

江戸時代には、染物業者が多く住んでおり、藍染川という細流が
町の中を流れていて、その近くに藍染稲荷もあった。藍染川は近
くにあったお玉が池を埋めたときの名残で、布を染めては川で洗
うため、川水は藍色に染まって流れていたといわれている。

平成19年度「千代田学」調査・研究実績報告書:日本大学「千代田観光資源100選の選定と『千代田コンシェルジュ』育成を目指して」資料編より

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草分稲荷(神田佐久間町4-11 佐久間公園)


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金綱稲荷(神田和泉町2 あみではなく、つなです.)


境内にある由来記はアクリル板に覆われ、読み通すのも難儀なので
文字起こししてみました。てにをはが変なところはだいたい原文通りと
思ってください。改行はそのままです。

金綱稲荷大神由来
ここに鎮座まします神様は正一位の極位格式では本大
祭祀式の最高「金綱稲荷大神」と申される神様でおわします。
この神様の親神様は、伏見稲荷大神であらせられまして、
五穀豊穣を守る農耕の神、衣食住の神と仰いで崇敬され、
更に商売繁盛の神、産業護の神、道中を守護する神と信じられ、
今日的には生活守護の神、交通安全の神と崇め奉られているのであり
ます。 然して、金綱稲荷大神様が、この地和泉町に外まつりとて奉
祀されるに至りました経緯は、遠く三七九年の昔に遡及することになります
が、これを要約いたしますと、日本通運の先祖に当る飛脚問屋京屋
弥兵衛という方が、徳川幕府から免許をうけて、大阪(浪花)、京都(京)、東京(江戸)
間の運送事業を開始することになりましたものの、当時の世相は未だ
物情騒然として治まらず、人様から頼まれた大切な信書や金銭それに
貨物などを、安全正確に送り届けるにはどうすればよいか、ということについて
苦慮されたのであります。そのとき、京屋弥兵ヱの脳裏をかすめ閃め
いたものは、伏見稲荷大神様が、中世のころ、熊野信仰がさかんになるに
つれ、熊野参詣の道中を守護された道中安全の神様であらせら
れることを相起し、これは伏見の親神様にお縋がりし、ご助力を祈願
するに如かずと、京屋は常日頃から伏見稲荷大社に参拝、同神
様を信仰していたものの、これでは信心が足りないとして、同神社から
大神様の“みたま”を勧請し、日夜自店にあって修養されたので
あります。ところが或る夜の夢枕に王冠白衣のご神霊が立ち給
い「汝の篤信のためで、汝に黄金の綱を授けるものなり、ゆめゆめ
疑うことなかれ」とのご託宣がありましたので、恐懼再拝、感激
極まりなく、早速自店で奉祀している神様に「金綱」の名前を
つけ、これが金綱稲荷大明神と称えるようになった由来であり、
前にも増して信仰に励んだのであります。尓来、金綱様のお導
きにより、京屋の飛脚は道中における山賊や護摩の灰からの人災は
皆無となりますが、これは‘厄除け’、“交通安全につながり、従って無事故
は信用を倍加し、顧客が増えれば、“商売繁盛”につながるとして店
栄えるに栄え、かおかつ誠心誠意、人間性的な事業経営は信仰に繋がる
ものとして、これを「業即信仰」と称し、これを金言として子孫に伝え、子孫ま
たこれを実践躬行○○たので、京屋飛脚問屋は、明治四年陸運元会
社に吸収統合されるまでの二七一年までの長い間、連綿と続いた老舗となった
のであります。続いて統合の結果金綱稲荷神社の祭主は時代の
変遷に伴い、京屋から陸運元会社、内國通運、國際通運、日本
通運と移り変りましたが、その祀り方におきまして、内まつりから現在の外
まつりに変わったのであります。その理由は定かではないが、推測するに、大正
初期の内國通運神田支店(現在の秋葉原支店)は、聖なるところに畄ま
れるという観点からと、地域社会一般の人々が参拝するに適した地点をと
いうことで、現在の場所を選ばれたと思うのであります。その結果は、毎年の
初午祭には盛大な祭典が行われ、地元町家一般の参拝は日に月に激
増し、神田一帯の信仰を集めるようになりましたが、これもご利益を授け給う
灼かな神様であることが理解されたからであります。その灼かさにあやかりたく、
日本通運では新造船に「金綱丸」と命名し、航海の安全を祈ったところ、
この金綱丸に限り就航以来一度の海難事故はなく、全く以って奇
跡といわれているのであります。また、外まつりとなられた金綱稲荷大神様は
地域住民社会一般の方々に対しましても、人によって差別をつけられることなく、
祈願によってご利益を授け下さるものでありまして、あの大正十二年
九月一日の大震災のとき、猛火は殆んど神田一面をなめつくし、今にも和泉町に延焼しようとした
その刹那、俄かに神田川沿いの屋上に霊狐が現われ、頻りに炎上する火焔に立向い、それを
追拂う所作をされていましたが、その神々しいお姿を、自分はこの目でまざまざと見上げたものだ
とは、当時穀商の鈴木四郎氏という方の話として、今に残っている逸話でありますが、これは
神狐は平等にご利益を垂れ給う好一例であるのであります。このように、金綱稲荷
大神様にまつわる話は枚挙に遑ありませんが、要するにこの神様は、ご利益を祈願
して成就せざることなしとの灼かな神様であらせられますので、この神様を礼拝
され、広大なご神恩を鑚仰されますこと祈念する次第であります。恐惶謹言
昭和五十五年二月三日 初午に当り
日通金綱稲荷奉賛会
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  1. 2008/11/08(土) 13:33:13|
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  4. | コメント:0
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