
岩本町2-7 -11 加島ビル壁面(上から)
江戸最初のお玉ヶ池種痘所跡のあった所
お玉ヶ池史蹟保存会
お玉ヶ池種痘所
お玉ヶ池は徳川初期には不忍池ほどの広さであったのが安政のころには小さなものに
なり現在はそのあとかたもなく史蹟としてお玉稲荷が祀ってあるだけです
一時は池のほとりに
梁川星巌の玉池吟社
市川寛斎の江湖詩社
大窪詩仏の詩聖堂
東條一堂の瑶池塾
佐久間象山の象山書院
剣士千葉周作の道場玄武館
磯又右衛門の柔道道場
永坂石埭宅 清元太左衛門宅など 文武の華が咲きほこりました
この標柱の場所は勘定奉行川路聖謨の屋敷内に設けられたお玉ヶ池種痘所があった
ところで東京大学医学部発祥の地です 同学部は昭和33年に迎えた創立百年の記念に
昭和36年文化の日お玉ヶ池種痘所記念碑と同時にこゝに元標を立てられました
お玉ヶ池史蹟保存会
お玉ヶ池種痘所跡
神田お玉ヶ池松枝町続元正眼
寺前勘定奉行川路聖謨屋敷内
東京大学医学部

繁榮お玉稲荷大明神 わきに厳重に柵をめぐらした旧社あり。ガスの検針が大変そう。

お玉ヶ池種痘所 (「ふな亀」」岩本町2-5-9 壁面のプレート)
いまから百十年まえ 一八五八年・安政五年五月七日
このちかくに お玉ヶ池種痘所ができました
それが発展して いまの東京大学医学部になりました
すぐそこにある記念碑は そのゆかりですえられたのです
一九六八年・昭和四十三年五月七日
東京大学名誉教授 緒方富雄
お玉ヶ池種痘所の記念に (岩本町3丁目交差点歩道上)
一八五八年・安政五年五月七日 江戸の蘭學醫たちが資金を出しあつてこの近くの川路聖謨の屋敷内に種痘所を開いた。これがお玉ヶ池種痘所で江戸の種痘事業の中心になった。ところがわずか半年で十一月十五日に類焼にあい下谷和泉橘通へ移つた。この種痘所は東京大學醫學部のはじめにあたるのでその開設の日を本學部創立の日と定め一九五八年・昭和三十三年五月七日創立百周年記念式典をあげた。いまこのゆかりの地に由来を書いた石をすえまた別に種痘所跡にしるしを立てて記念とする。 一九六一年十一月三日 昭和三十六年文化の日。 東京大學醫學部
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沿革
安政5年(1858年) 5月神田お玉ヶ池種痘所を設立
文久元年(1861年)10月西洋医学所と改称
3年(1863年) 2月医学所と改称
明治元年(1868年) 7月横浜軍陣病院を神田和泉橋旧藤堂邸に移転、これを大病院と称し、
医学所は大病院に附属
2年(1869年) 2月医学所は、大病院と合併し医学校兼病院
12月大学東校と改称
4年(1871年) 7月東校と改称
5年(1872年) 8月第一大学区医学校と改称
7年(1874年) 5月東京医学校と改称
9年(1876年)11月東京医学校校舎、寄宿舎及び病院を本郷本富士町旧加賀藩邸内に新営、移転
10年(1877年) 4月東京開成学校と東京医学校を合併、東京大学となり、
病院は東京大学医学部附属病院と改称
11年(1878年)11月神田に附属病院を設立し、医学通学生の臨床講義用患者収容所に当て、
第二医院と称し、本郷の医院を第一医院と称す
19年(1886年) 3月東京大学は帝国大学、医学部は医科大学となり、第一医院及び第二医院は、
帝国大学医科大学附属第一医院及び第二医院と改称
26年(1893年) 9月帝国大学医科大学附属医院と改称
30年(1897年) 6月東京帝国大学医科大学附属医院と改称
大正8年(1919年) 4月東京帝国大学医学部附属医院と改称
昭和22年(1947年)10月東京大学医学部附属医院と改称
24年(1949年) 5月東京大学医学部附属病院と改称
当時の診療科等/ 内科(3)、物療内科、外科(2)、整形外科、産婦人科、小児科、
眼科、皮膚科、泌尿器科、精神神経科、耳鼻咽喉科、放射線科、歯科口腔外科、
輸血部、薬剤部
http://www.h.u-tokyo.ac.jp/outline/pdf3/youran_05-06.pdf


千葉周作玄武館跡は一八通りの小学校跡の正門内にある。

神田東松下町45-1の神田金子ビル公開空地にある小社。個人のお社で名称は不明とか。
- 2008/10/11(土) 14:54:15|
- 東京散歩
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