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杉並区天沼・名残りの弁才天 2009年12月4日(金)

天沼稲荷神社(杉並区本天沼2-14-10)
120409 030 120409 084
社額には稲荷神社の左右に厳島神社と猿田彦神社が並んでいる。
案内板には境外末社があると書かれています。

天沼稲荷神社
 当社は旧天沼村字本村の鎮守です。祭神は保食神で、境外末社として猿田彦神社(猿田彦命)、市杵嶋神社(市杵嶋比売命)三峰神社(伊弉諾命・伊弉册命)を祀っています。創建年代は当社の別当職をつとめていた蓮華寺の過去帳に「慶長19年(1614)、板倉周防守より本社境内を除地とする}と記録されていることから、それ以前とも考えられますが、詳しいことは明らかでありません。しかし、社伝は稲荷信仰が村内に広まったのは、寛永12年(1635)に当地が赤坂山王社領となってからと、伝えています。また、江戸時代の当社について『新編武蔵風土記稿』には「除地百五十坪、小名本村にあり、此所の鎮守なり、本社三尺四方、上覆二間と三間」と記されています。現在の本殿は明治初年に前記の山王社の内殿を譲りうけて移築したもので、その後何度か修改築されましたが、当時の様式を今も残しています。なお、文化財としては、内殿移築と同じ頃に山王社から奉納された山王祭を画いた畳2畳ほどの大絵馬、弘化5年(1848)2月奉納大幟、文政6年(1823)4月銘の手洗盤などが所蔵されています。
 昭和59年3月 (転載元


板絵着色 祭礼図 一面
本大絵馬は、明治初年旧天沼村の氏子中が奉納したもので、桧板三板を横矧にし、飾金具を配した漆塗りの額で装飾されています。横長の画面には幟を立てた社殿、赤丸に「天」と染め抜いた半天を着た人々、裃姿の武士、そして山車上の囃子方など、祭礼の情景が生き生きと描かれています。作者の「陸斎」はどのような人物であったか不詳です。画面の「玉村作」は裏面の墨書から額師と考えられています。祭礼の情景を描いた区内唯一の絵馬で、また絵師、額師名も記された貴重なものです。

猿田彦神社(本天沼2-26-3)
120409 101 120409 126
「杉並の小祠」によると、明細帳の記録では明治40年に天沼稲荷神社へ合併したという。
神域は垣内だが、境内地はかなりの広さ。ここが飛び地境外社でした。
ところで、ケヤキじゃなかったかな、かなり根が板根化していました。

三峯神社と厳島神社(本天沼2-5-15)
120409 155 120409 152
路地の分れ目の、楔状にしては広い土地に鳥居口がふたつ、敷石のさきにぽつんと
小祠があるだけの空間。
手前が三峯神社ですが、「杉並村社寺明細帳」(明治18年)の厳島神社境内図にも
記載がないそうです(「杉並の小祠」)。この厳島神社も明治40年に天沼稲荷神社
に合併されています。三峯神社も共に境外社として天沼稲荷神社の案内板に記載さ
れていました。

天沼山蓮華寺の弁才天堂(本天沼2-17)
120409 172 120409 168
あるかもなと思って立ち寄ったらありました、弁才天堂。
いやしかし大弁才天女王という表記は初耳でした。

蓮華寺
天沼山蓮花寺は、真言宗室生寺派に属する寺で、開山は真長和尚と伝えられます。本尊は如意輪観世音菩薩(如意輪蓮華峰王)です。当寺開創の詳細は明らかではありませんが、墓石には正長元年(1428)の戒名があり、また慶長19年(1614)板倉周防守から寺地の寄進されたという記録もあり、開創は室町時代と伝えられています。寺伝によれば天和2年(1682)に寂した中興開山鏡薫和尚の時代に、寺門は大いに興隆したといわれています。昭和37年に建立された本堂には不動明王坐像と昭和19年出羽湯殿山から請来した不動明王の立像も安置されています。この不動尊は室町時代に作られたもので、「厄除不動」の名で呼ばれて厚く信仰されています。当寺には文化財も多く、天沼村関係古文書が所蔵されているほか、阿弥陀・馬頭観音石像・宝筐印塔等が境内に安置されています。なお、旧本堂は杉並第五小学校の前身である桃園尋常高等小学校の分教場に使用され、多くの人々に親しまれました。堂前にその記念の石碑があります。
   昭和55年2月20日 (転載元


天沼熊野神社(天沼2-40-2)
120409 237 120409 208
末社はきれいに整備されています。稲荷神社と、三峰神社・太源神社・須賀神社合殿。
大鳥居に並んで白玉稲荷神社。

天沼熊野神社
 この神社は、旧天沼村の鎮守で、伊邪那美命が祭神として祀られています。 創立については詳ではありませんが、社伝によれば、神護景雲2年(768)、東海道巡察使が武蔵国に来たときに、氏神を勧請し別当を置いたのがはじまりと伝えています。また一説には、元弘3年(1333)、新田義貞が北条高時を討つために鎌倉へ軍を進める途中この地に陣をしき、社殿を創設したとも伝えられています。その後、応永2年(1395)朝倉三河守という武将がこの地に帰農した際、社殿を修理し、十二社権現と称するようになったといわれています。熊野神社と名称を改めたのは明治維新以後のことです。天沼は古来からの名称で、奈良時代末期の武蔵国の「乗瀦駅」から起こったといわれていますが、諸説があって定説はありません。この辺りからは室町時代の板碑が出土していることから、その頃すでに開発が進んでいた地域と考えられます。また、蓮花寺の過去帳によれば、天沼村はおそくとも慶長年間(1596~1615)には成立していたものと考えられます。境内には、直径2mにも及ぶ大杉の切株がありますが、社伝によれば、この杉は新田義貞がこの地に陣をしいた際、戦勝を祈願して手植えしたものと伝えられています。惜しいことに、枯死したため昭和17年伐採され、今では切株で昔をしのぶだけとなっています。そのほか境内には、文化14年(1817)9月奉納の石造鳥居と、文久2年(1862)9月奉納の石造手水盤があります。
 昭和57年2月10日 (転載元


天沼八幡神社(天沼2-18-5)
120409 262 120409 274
末社は大鳥神社、日枝神社・金山彦神社・須賀神社合殿と稲荷神社2社の計5社と
ありますが、稲荷神社と思われる社は三社ありました。

天沼八幡神社
 この神社は、『新編武蔵風土記稿』多摩郡天沼村の条に八幡社とあって「除地、百五十坪、コレモ中谷戸ニアリ此所ノ鎮守ナリ本社ハ三尺四方ニテ覆屋二間二三間南向例祭九月ニテ下ノ稲荷十二所権現ト交ル々々行ヘリト云ウ」と記されているように、旧天沼村字中谷戸の鎮守で天正年間(1573~1591)の創建と伝えられています。祭神は応神天皇です。明治40年9月に字四面道の鎮守厳嶋神社(祭神市杵嶋比売命)を合祀しました。昭和2年4月に村社となりました。境内末社に大鳥神社(1殿)・稲荷神社(2殿)・須賀神社・金山彦神社・日枝神社(以上合殿)があります。
 なお、日枝神社はその昔、天沼村が江戸時代に赤坂の日枝神社の社領であったため、旧村から末社としてこの地に奉斎されました。相殿の祭神市杵嶋比売命は、合祀以来水神・安産の神として深く信仰され、雨乞いの行事なども古くから伝えられていました。大鳥神社(祭神日本武尊)は、商売繁昌の神社として信仰され、毎年11月の酉の日を祭日として熊手市がたちます。当社では開運熊手守・福桝等を授与しています。現在の社殿は、昭和52年に改築されました。
 昭和58年3月 (転載元


弁天池公園と天沼弁天社(天沼3-23-1)
120409 325 120409 344
この公園は平成19年4月7日にできたらしい。「杉並の小祠」によれば明治44年
(神社明細帳では40年となっている)に天沼八幡神社に合祀され、昭和50年用
地が処分されたため記念として建立された社であるそうだ。
神社のようで神社でない、たんなる記念物? う~ん

天沼弁天池公園開園
かつてこの場所には、こんこんと水の湧き出る“天沼弁天池”と呼ばれる池があっ
て、「天沼」の地名の起こりになったといわれています。池の中之島には弁天様が祀
られ、大正の半ば頃までは日照りが続くと農民の雨乞いの行事も行われていました。
昭和35年頃までは、スイレンなどが咲き、魚も泳いでいましたが、その後の都市化
で農地が減少して地下水が枯れ、荒れてしまった池は埋め立てられました。
この土地は昭和50年に八幡神社から民間企業に売却され、その後平成16年12
月に区が用地を取得、昨年11月から工事が行われてきました。
http://www2.city.suginami.tokyo.jp/library/file/bentenike.pdf

○園名の由来
この池は、桃園川の水源のひとつでもあり、天沼の地名の起こりになったともいわれています。
こうした由緒ある土地の由来を将来に伝承するために“天沼弁天池公園”と名づけました。
杉並区施設案内

天沼出世大黒天(清水1-1-1)
120409 360
天沼本通りの薬局の路地側にありましたが、あやうく見過ごすところでした。
というか、「杉並の小祠」の写真にあった鳥居と、由来の書かれた角柱がなくなっている!
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  1. 2009/12/04(金) 22:31:32|
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