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宝珠花神社 春日部市西宝珠花 2009年11月27日(金)

宝珠花神社(埼玉県春日部市西宝珠花77)

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念願だったのです、やっと行くことができました。
4号線を庄和町に入ったとたん、朝靄で田圃も霞むほどの
視界でしたが、神社はもう幻想的ではありませんでした。

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神社わきに河岸方稲荷。
由緒
この社、河岸方稲荷は、宝珠花村時代に、舟運に繁栄した江戸川に
沿って河岸方組合(現在の上第八組)という組織があり、全員商人
でしたので、商売繁盛を願って建立されたと言い伝えられている。
お社の沿革
お社の創立年代は不詳ですが、移転前、浅間山の中腹に建立されて
いた。
昭和二十八年十月 江戸川の河川改修により現在地に移築する。
昭和四十四年三月 移築してきた、お社は木造の瓦葺きでしたので
老朽化に伴い鉄製造りに改築した。
平成十三年四月 鉄製の、お社も老朽化に伴い白御影石造りに改築
する。更に現在の氏子の家内安全を併せ祈願するものとする。

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春日部市指定有形文化財 宝珠花神社扁額
春日部市西宝珠花七七番地 平成十四年三月二十六日指定

宝珠花神社に伝わる扁額で、寸法は縦九一センチ・横五六センチです。銅版製で、表に「三國第一山」、裏に「武州粕壁住鋳懸師/駒田文吉恐惶謹造/天保四年癸巳正月吉日/不二登山一百二十一度/當所氏子中/行者禄行三志書」とあります。これにより、この扁額は天保四年(1833)西宝珠花の人々が富士登山一二一回を記念して奉納したもので、「三國第一山」は富士山を意味し、行者禄行三志の書体を粕壁の鋳掛師が鋳造したものであることが分かります。
禄行三志は、近世後期鳩ヶ谷宿出身の不二道指導者小谷三志(1765~1841)の行名です。富士塚戸と共に当地域の富士信仰の隆盛を示しており、著名な民間信仰の指導者との関連を示す貴重な文化財です。
平成十四年九月

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燈籠について
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参道鳥居の右の燈籠にはちょっと驚かされました。
階段がついているのも滅多にないことでしょうが、

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それにも勝る驚きは、台石の獅子が格狭間はおろか天
を越えて刻まれていることでした。燈籠はこうした破格を
見ることがほとんどないので、普段はあまり興味がわきま
せん。
文政七歳丁亥六月とあり、石工は東寶珠花 米川彌兵衞。

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百度石の上の猿。

宝珠花神社 所在地 北葛飾郡庄和町西宝珠花七七
宝珠花神社の祭神は、木花開耶姫命、菅原道真公、経津主命、素盞
嗚命の四柱で明治四十年十二月に、浅間社、天神社、香取社、八雲
社を合祀して社号を宝珠花神社と改称する。
各社の創立年代は不詳。江戸川の改修により昭和二十八年六月に、
西方約三百メートルの現在地に移転する。例年、祭礼二月二十五日、
夏祭七月七日、秋祭十月九日が行われる。境内の浅間山は富士山に
模して、一合目から九合目までの標式があり、頂上に浅間大神を祀
り亀岩、烏帽子岩などがある。近郷の人々から浅間様として崇敬さ
れ、七月一日の初山には、子供の成長を願う参詣者で賑わう。夏祭
には、子供たちにより雌雄二頭の獅子が、氏子の各戸を廻り疫病退
散を願い、また当時の江戸川舟運の繁栄をしのばせる大神輿が、若
衆によって勇壮に町内に繰り出される。
昭和六十一年三月
埼玉県
庄和町
東光山大王寺の稲荷神社?
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宝珠花神社のすぐ近く、なんのお堂かなと境内に入ると、
これはまた変わったお稲荷さんでした。ただし御神体は
入っていないようです。
平成五年十月十八日 庄和町米島一・一九八
茂呂林次郎 八十五才 作


大王寺 所在地 庄和町西宝珠花八八
大王寺は、真言宗豊山派に属し、本尊は金剛界大日如来であ
る。創立は、昭和参十年八月旧西宝珠花宝蔵寺と旧西親野井観
音寺の併合によるものである。旧西宝珠花宝蔵寺は明治四十二年、
塚崎永福寺並びに宮前地蔵院の二寺を併合したもので、また、西親
野井観音寺は、昭和十七年深輪地福院を併合した寺院である。した
がって昭和三十年の両寺の併合によって五寺の結集した寺院となっ
たわけである。その際観音寺より本尊大日如来をここ大王寺に遷座
している。現本堂は、旧宝蔵寺のもので、寛政三年(1791の創建で
ある。また、旧観音寺不動堂(西親野井四五五番地)には、南北朝
時代の倶利伽羅不動と胎蔵界大日を刻む高さ約一・二メートルの板
石塔婆がある。これは修験道系板石塔婆の代表的なもので、県指定
文化財となっている。 昭和六十一年三月


愛宕神社(宝珠花入口バス停)
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由緒
火之迦具土神
春祭 二月七日
例祭 四月二十四日
秋祭 十月九日
當社は火之迦具土神を祀る、昔日より鎮火の神或は防火の神として、
當地開闢の時氏神として諸人が鎮斎すと傳えられ、社蔵記に安政五
年十一月十七日隣寺喜寶院に奉遷せられしが、其の後村内に變事数
度有りて村人歎聲す。時の奉行石谷因幡守村役人と相議りて、元治
元年十月十七日氏子一同力を戮せ心を一つにして、元の鎮座地に再
び社殿を造営して奉遷、年々に祭祀を奉仕するにより、爾来御井垣
内安泰す、昔日より防火の神愛宕大権現と尊稱せられ神徳四方に灼
然たり。 宮司敬白


浅間神社?
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大凧会館(西宝珠花637)
n112709 491 f112709 129
入館料300円也。
画角に収まると15×11メートルの大凧に見えないね。
ところで「いってみよう大凧の里へ」という観光案内
があったのですが、なぜか宝珠花神社がハブられてます。

親野井神社
n112709 530 n112709 600 n112709 543 
大正9年3月に香取大神、稲荷大神、神明神社、天満宮、
八幡大神、厳島神社、熊野神社の七社を合社した神社。
拝殿横に水神宮があるのだが、明治13年9月吉日/子供十二人 
とある。この子供とは遊女のことでしょう。

親野井神社 所在地 庄和町西親野井四七九
親野井神社の祭神は、経津主命、天照大神、応神天皇他四柱である。
大正九年三月従来西親野井地区にあった七社を合祀して当社を創建
したと言う。祭礼は、毎年一月十九日に行われており、大幟を立て
五穀豊穣、家内安全を祈願している。また、神社前にある桜の木は、
「将門ざくら」と呼ばれ、昔、平将門が馬をつないだと言い伝えら
れている。 昭和六十二年三月
埼玉県
庄和町

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親野井神社から不動堂に曲がる角のお屋敷の植込みにびっくり!

不動堂
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お目当ての板石塔婆は3月28日にのみ開帳されるということです。

埼玉県指定有形文化財 不動堂の板石塔婆 
昭和四十年三月十六日指定
板石塔婆とは、中世の鎌倉時代から室町時代にいたる間に造立され
た塔婆の一種で、主として偏平な板石を用いたもので、故人の供養
塔や墳墓として建てられたものである。
この板石塔婆は、全長一・二メートル、幅三十三センチメートルあ
り、上部の華台上に結跏趺坐の胎蔵界大日の仏像と、その下に弥陀
種子と倶利伽羅不動を浮彫に表わし、像の左右には十仏の種子があ
り両側に光明真言がある。不動の下部には、合掌した山伏の姿があ
り『栄久』の二文字が見られる。『栄久』は、この板石塔婆の造立
者である行者であろう。造立の年号は記載されていないが、彫刻の
手法から南北朝時代初期と推定される。なお、この不動堂の板石塔
婆は、厨子の中に入り本尊として地区の人々の信仰を集めている。
 昭和五十六年三月
埼玉県教育委員会 春日部市教育委員会
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  1. 2009/11/27(金) 17:45:26|
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