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杉並の小祠 巡検 2009年11月14日(土)

稲荷社(杉並区井草5-17-22)
111409 009 111409 021
雨のち晴れのち曇り。『杉並の小祠』(1996)をめぐり、西武新宿線
上井草から井荻まで巡検してきました。

稲荷社(井草5-14-12)
111409 055 111409 050
オートセンターイグチ駐車場にありました。

宝積稲荷社(上井草1-5) 確認できず。地元の人もわからず。

四宮稲荷社(上井草2-6)
111409 066 111409 079
鳥居は新しくなっていましたが、立ち入りできず、やや荒れている様子。

社名不詳(今川2-15)
111409 087 111409 093
竹やぶもある大きな敷地の、観泉寺の東側に面した小社と石仏群。
『杉並の小祠』には出ていない。開放するような造りに見えるが、
パイロンで立ち入れません。

今川稲荷(今川2-14-25)
111409 122 111409 110
『杉並の小祠』の記載は正一位稲荷大明神。駐車場の一隅
ながら植栽できっちり守られています。

稲荷社(清水3-6-23)邸内ということですが、外からは伺えないので未確認。

稲荷大明神社(清水3-7-5)
111409 132 111409 142
『杉並の小祠』では清水3-7-4となっていました。

妙正寺(清水3-5-10)
111409 209 111409 164

妙正寺
 法光山妙正寺は、日蓮宗の寺で十界諸尊を本尊とし、ほかに大黒天・鬼子母神・三十番神・弁財天などの諸像が祀られています。約600年前の文和元年(1352)、中山法華経寺(千葉県)の第3世日祐上人が、妙正寺池のほとりに堂を建て、法華経守護の天照大神・八幡大神・春日大神など三十番神を勧請したのが草創であり、正保3年(1646)中興開山日明が社殿再建してから、広く信仰されるようになったといわれます。慶安2年(1649)、3代将軍徳川家光が鷹狩の折、神前に武運長久を祈願し、葵の紋幕と朱印地五石を寄進してからは。「御朱印寺」として一層有名になりました。現在でも、毎年10月25日に三十番神堂に、葵の紋幕を掲げて一般に公開する法会が行われています。
 天保元年(1830)に本堂は古文書類とともに焼失しましたが、天保3年には再建され、昭和6年に改築して今日に至っています。また、三十番神堂及び鐘楼は安政3年(1856)の大暴風で倒壊し、安政6年に再建されました。なお、現在の鐘楼は、昭和38年に新しく建て替えられました。
 当寺に伝わる鎌倉期から室町期の板碑八基は、妙正寺池周辺の古い村落のことがうかがえる貴重な文化財です。鬼子母神像は、「生毛鬼子母神」と称され、安産に霊験ありとして、江戸城大奥にありましたが、天保改革(1841)の大奥粛清の時、この寺に移されたもので、それ以来この地域の人々に「安産の神」として親しまれてきたといわれます。なお、弁財天像は、もと妙正寺池の弁天島に祀られていたものです。
   昭和55年2月20日

妙正寺稲荷社(清水3-5-18)
111409 174 111409 187
妙正寺の境内社。表記は稲荷神社とのみ。わきの小社は
『杉並の小祠』によると瘡守稲荷だと思われる。

中瀬天祖神社(清水3-19-10)
111409 223 111409 255
稲荷神社と三峯神社がありました。

中瀬天祖神社
 当社は『新編武蔵風土記稿』多摩郡下井草村の条に「十羅刹堂」とあり、「妙正寺ヨリ三町程北ノ方小名神戸ニアリ 妙正寺御朱印地ノ内ナリ 則此ノ寺ノ持」と記されています。十羅刹とは、もと人を食う悪鬼でしたが、後に法華経を守る守護神となった10人の羅刹女といわれています。このことから、日蓮宗の妙正寺がここに十羅刹を祀ったものと思われます。明治以前は十羅刹様とか神明様とか称していましたが、維新後の神仏分離令(明治元年)によって天祖神社と改称されました。
 祭神は大日孁貴神(天照大神の別の尊称)・市杵嶋姫命(天照大臣の姫神)・保食神(穀物や食物の神)の3神です。また、このほかに市杵嶋神社・稲荷神社合殿の境内社が1社あります。
 『神社明細帳』の由緒には「当社は井草八幡宮の境外神社で井草川の西岸神戸坂の上に在り、極めて古き社にして、神体は一大石剣なり。」とあります。この神体を霊石とする伝説があり、昭和20年頃まで例祭日には社前で餅をつき”下ベロ餅”という丸餅を参拝者に配りました。この餅を食べると子宝が授かるといわれ遠方からも多数の参詣者があり、「神戸の鎮守様」として昔から親しまれてきました。天祖・稲荷それぞれに講中があり、百余名の氏子が熱心に維持管理に当っています。
   平成元年3月

以下の記事は本殿に備えられていた参詣のしおりより。 

奇妙な石のご神体
井草川の流れは上井草から下井草に向かってゆるやかに東に流れ、区立中瀬中学の裏で西に流れを変え南に直流する。そこに架かる道はとたんに急坂になる。世に言う押し手を借りたい神戸坂である。坂を登りつめた左側に祀られているのが中瀬天祖神社で、この社の前身が子宝に恵まれる十羅刹様である。中瀬天祖神社の御神体は奇妙な男根状の自然石が祀ってある。伝説によると、昔、江戸へ手車で荷物を運んだ帰り道、空車だと車がはずんで引きづらいので重しのために石を二、三個積んできたと云う。ある時のこと、所沢か田無あたりのお百姓が江戸からの帰り道、神戸坂で急に腹痛を起こし動けなくなり、その場に座りこんでしまった。近所の人がびっくりして妙正寺へかつぎこみ、和尚さんに祈祷してもらったところ、たちまち腹痛が治ったという。そのとき、ふと和尚さんが手車に乗せてあった男根状の石を見て、これは不思議な石だ、この地に安置されたいために腹痛を起こさせたに違いない、と申され、その石を十羅刹女が祀ってある神戸坂上の十羅刹堂に納めた。それから何十年か後のこと、青梅から江戸へ炭を運んでいた馬方が、いつものように馬の背の両側に炭俵をつけ、神戸坂に差しかかったとき、道端で男根状の石を見つけた。大きさが人の頭くらいなので、たいした荷物にならないから持ち帰ろうと、馬の背に乗せて鞍に結びつけ半丁(約50メートル)も行かないうちに急に馬が動かなくなったので、馬方が振り向いて見ると馬はびっしょり汗をかき、苦しそうに息をはずませている。馬方はびっくりして、「これはただの石ではない、さわらぬ神に祟りなしだ」と石をもとに戻したという。すると馬はたちまち元気になり歩きだした。江戸の問屋に着いた馬方は、この不思議な出来ごとを問屋の主人や友達に話したところ、いつしか、その石の話が井草村にも伝わり、村の人達が集まって、その石を見ると、「十羅刹堂」の小祠の床に安置してあった石であった。何かのはずみで祠から道端へころげ落ちたに違いないと、村で一番の物知りといわれた組頭の四郎右衛門さんが、うやうやしくこの霊石を元どおり祠へ納め、「わしが若い頃に拝んだ時より、生気が満ち満ちていて大分大きくなっているようだ。この石と十羅刹様とを拝めば陰陽がかね備って子宝が授かる」と話したという。その後、世継ぎの神様として霊験あらたかだと評判になったという。ここに「本尊木の立像三寸」の十羅刹様と「奇妙な石の御神体」の神明社、いまの天祖神社と結びついて陰陽がそなわったのである。そのころ子どもに恵まれますようにと神仏を崇めた素朴な井草の人々の気持ちが、いまも伝わって来る。 (十羅刹堂信仰の背景と変遷より)

稲荷社(下井草5-1-1)
111409 280 111409 290
通行人の参拝も多くと書かれていたが、敷地は微妙な場所にある。

井口稲荷神社(下井草5-3-17)
111409 326 111409 306
まったくの敷地内でしたので、家人にお断りして撮影
させていただきました。社名は『杉並の小祠』より。

稲荷社(下井草5-14-4)
111409 329 111409 352
空き地にぽつんと残っていました。屋敷のなくなった屋敷神。
正一位稲荷大善神と正福稲荷善神をあわせ祀っていたとか。

三峯社(上井草1-24-17)
111409 359 111409 365
ビルの屋上にあることはわかっていましたが、どこに声をかけたものか、
とにかく社殿があることだけは確認できました。
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  1. 2009/11/14(土) 18:57:26|
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