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酉の市と杉並の小祠 2009年11月12日(木)

出世大鷲神社(杉並区下井草1-31-2)
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『杉並の小祠』では天沼大鷲神社。早稲田通り沿い、本日は一の酉です。

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オジロワシ、でしょうね。お酉さまの起源は諸説ありますが、神仏のお使いとして
の鳥が神社の名称となり、名称のゆかりで鳥そのものが御神体となるところに、
なんともいえない神事の機微があるような気がします。

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駐車場の一角に三峯神社がありました。『杉並の小祠』には記録されていません。

大鷲神社
当社は出世大鷲神社と称し、御神体は剥製の大鷲です。
 この地は天沼本村と呼ばれた農村地帯で、主に東京への野菜供給地でした。大正10年1月11日、現在の本天沼二丁目37番付近の畑地にあった赤松に飛来した鷲を、村の人たちが悪戦苦闘の末仕留めました。羽を広げると2m以上もある大鷲でした。村中の人達が見物に来、村に祟りでもあると大変なので、おとり様としてお祀りしようと話がまとまり、一社を建立しました。その後毎年11月の酉の日には市がたち、天沼本村だけでなく近郷近在の名物として狂言や踊りなどの余興を催したり、賑やかなお祭りがありました。今でも酉の日には、町の有志により商売繁盛を祈る熊手が売られています。石の鳥居は、昭和63年に建てられました。前を通る早稲田通りは拡張され、今では平坦な道となっていますが、昭和初期の区画整理前は大鷲神社から西へ向うところは“げんぼう坂”と呼ばれ、かなり急な坂道で荷車を引く者にとっては難所の一つになっていました。
  平成3年3月 (引文元

大和市神社(善福寺4-14-1)
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こちらも、オジロワシ、だと思います、が。
アクリル板越しなのでちと写し辛い。

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大熊手はまだ揃っていないようでした。夕方から近所でお囃子とかあるそうです。

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大和市神社
当社の御神体は剥製の大鷲です。
 この大鷲は、大正14年秋、練馬区関町との境にあった、一本松に留っていたものを、散弾銃を持ってきて撃ったと言われています。大鷲は弾が当っておちてきながらも、向ってきたので、また撃たれ仕留められたそうです。 あまりにも大きな鷲なので、剥製にして保存し、これを御神体として翌15年村中の人々と話し合ってお社を建てて祀り、大和市神社としました。
 土地の人や、近郷の人々も入って講中となり、毎年11月酉の日に、井草八幡の神主を招いて祭礼を行い、熊手を売ったりしています。 昔は、現在と異なり、お社のまわりは、空いていたので、祭礼の際は、いろいろな屋台が出たり、芝居や神楽などが行なわれました。とくに、芝居小屋がかかると、どこからこんなに人が来たのかと思うくらい集まったそうです。
昔は娯楽が少なかったので、近郷近在のひとにとっては、とても大きな楽しみだったのでしょう。
区内には、大鷲の剥製を御神体としているお社が他に、下井草一丁目に有り、大鷲神社と称しています。
  平成4年3月(引文元

↓以下の記事は11月13日に追記しました。

地蔵堂(下井草3-5-9)
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地蔵堂
 この地蔵堂は、正徳3年(1713)6月に観泉寺(今川2-16-1)持として、旧下井草村字向井草の現在に創立されました。別称・平等軒ともいわれ、本尊は地蔵菩薩です。 『新編武蔵風土記稿』に「見捨地五畝 小名井草前ニアリ 四間二三間ノ堂ニテ南向 本尊木ノ立像ニテ長一尺七寸 遅野井村観泉寺持」と、この地蔵堂の記述があります。 天保5年(1834)2月には、すでに、観泉寺が下井草村の年寄田中惣兵衛にこの堂の管理をまかせていました。その後、天保12年(1841)に間口5間・奥行3間の堂を焼失してしまいました。翌天保13年(1842)9月、田中惣兵衛が村民の代表者となって、鳥見役にその再建を願い出たという記録が残されています。
 明冶初年には、観泉寺廃室となり、慈照という尼僧が住むようになりました。その当時は、境内は90坪の年貢地でしたが、明治10十年代初めには、境内は130坪となり、信徒も31人を数えるにいたりました。その後、観泉寺から独立し、現在の境内は3坪、堂宇は2間四方となりました。地元有志約30人で結ばれた地蔵講中が今もあり、毎年11月24日に夜、堂前左右に行燈を立て、燈明を献じ、般若心経を唱和した後、酒食を共にするならわしが続いています。なお、堂前、左側の石造物は、宝暦8年(1758)8月建立の地蔵菩薩を刻した石橋供養塔で、右側の2基は、江戸時代の石塔です。
   平成2年3月

政影安影神社(下井草3-6-19)
現存しない。マンション建設のために井草八幡宮にお願いして焼却された(地主のT家主人)。

銀杏稲荷神社(下井草2-15-8)
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北側に銀杏稲荷公園がある、もとは境内だったのだろう。

銀杏稲荷神社
 当社は旧下井草村の鎮守で、社名は神社の裏山にあった銀杏の大木に由来しています。創建は棟札に「抑当社勧請者元和2(1616)歳比、先祖外記造営(下略)」とあり、井口家の先祖である井口外記といわれています。
井口家は相州(現神奈川県)の三浦氏の末裔といわれ、天正年間 (1573~1592)に当地に移り住んだもので、その一族の多くは名主・年寄役などを勤めました。井草の地名のおこりも井口姓を名乗った長佐衛門なるものが「草分け長佐衛門」と呼ばれたことからおこったという説もあります。
 村の鎮守として祀られた当社は、かつては境内も二百坪ほどあり、江戸時代には下井草村の妙正寺が別当として管理していましたが、現在は井口家を中心とする30数軒の講中の稲荷として地元の人々に信仰されています。現在も残されている、文政12年(1829)2月に下井草村氏子中が奉納した「正一位銀杏稲荷大明神」の大幟は当時からも稲荷信仰が盛んだったことをうかがわせる貴重な資料です。毎年2月初午には世話役の頭を中心にして、この大幟と各講中持ち回りの幟を立て、井草八幡宮より御幣を戴き、御神酒及び種々の御供物をして、赤飯を子供達に与え、五穀豊穣・講中安全・子孫繁栄を祈願しています。
 祭礼は2月初午です。
   昭和58年3月

三峯神社(下井草2-31-4)
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三峰神社の新しい御眷属(お札)が納められていた。

正保稲荷神社(井草1-14-5)
111209 290 111209 321

三峯神社(井草1-31-17)
111209 341 111209 335 
『杉並の小祠』では井草1-31-14でしたが、いまはマンションの
植栽スペースに入っています。表示は何もありませんが、社殿
が昔の写真と同じものでした。

八成稲荷神社(井草2-28-9)
現存しない。

猿田彦社(庚申堂)井草2-24-6
111209 371 111209 366 

民間信仰石塔
 ここに建立されている石塔は、寛保元年(1241)銘の庚申塔と寛政5年(1793)銘の念仏供養塔です。庚申信仰は、「長生きするためには、庚申の夜は身を慎しみ、諸善を行い、徹夜をすべきである」という中国の道教説から始まったようです。それが日本に伝わってからは、中世以降仏教や神道の信仰と習合して庶民の間にひろまりました。江戸時代には本尊を青面金剛とし、不見、不聞、不言の三猿・二鶏等が彫られるようになり、ここに見られるような庚申塔の建立が盛んになりました。
 念仏信仰は「南無阿弥陀仏」と唱え、阿弥陀仏を信じれば浄土に導かれるという信仰で、念仏供養塔も各所に多く建立されています。この石塔が建立されている場所は、かつての所沢道と府内17番札所長命寺(現練馬区)への巡礼道の交差点で、往来の人も多く、近くには茶屋もありました。石塔には側面に「右新高野への道」「これより左中野のみち」等彫られており、石塔は道標でもありました。これらの石塔は、この辺りが武州多摩郡下井草村字八成といわれた頃、地域の人々によって悪疫退散・村内安全等を祈願して建立されたものといわれてます。
 なお、右の石塔のほかに「弘法大師」の名号と、両面に「道しるべ」を刻んだ石塔等ありますがこれらは周辺の道路整備等により当所に移されたものです。私たちもこのような文化財を、一層大切に守りつづけたいものです。
   昭和56年2月15日
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テーマ:神社仏閣 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2009/11/12(木) 16:54:19|
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