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荻窪八幡と井草八幡宮 2009年11月10日(火)

荻窪八幡神社(杉並区上荻4-19-2)
111009 158 111009 133
「ごくせん」ロケ地の立札がありました。平成17年1月~3月。

荻窪八幡神社
 この神社は旧上荻窪村の鎮守で、今から約1080年前の寛平年間に、応神天皇を祭神として建立されたと伝えられています。永承6年(1051)、源頼義が奥州の安倍貞任征伐の途中、ここに宿陣して戦勝を祈願し、のち康平5年(1062)凱旋の時、神恩に感謝して当社を厚く祭ったといわれています。
 また文明9年(1477)4月、江戸城主太田道灌は、上杉定正の命をうけ石神井城主豊島泰経を攻めるにあたり、源氏の故事にならってこの神社に武運を祈願しました。この時植えた槇の樹一株が、500年の歳月が経過した今も「道灌槇」と呼ばれ、御神木として大切に保護されています。 なお、当社には、永仁2年(1294)、嘉慶2年(1388)、応永29年(1422)銘の板碑、その他土器や石器類、社宝の勝海舟の大幟、掛軸などがあります。
   昭和54年2月1日(引文元

111009 270 111009 125
左から秋葉神社、猿田彦神社、
五社相殿(祓戸神社、琴平神社、須賀神社、稲荷神社、御嶽神社)
彰忠碑は鎖で立ち入りを禁じられているので、社務所の方にお願い
して背後を見せていただきました。

先年桃井第一小学斈校庭に建てられた
本碑は大東亜戦争の直後故あって地
中に埋められて居たが今回有志者に
よって此の地を相し再建して以て永く
其の遺芳を偲ばんとするものである
昭和参拾壱年六月


111009 266
境内にはいくつかベンチがありますが、これはたまらん。

御嶽社(桃井4-1-9)
111009 173 111009 203
『杉並の小祠』(杉並区教育委員会 1996,)によると、元上荻4-29-15に
あったが、青梅街道の拡張で移転したとある。

111009 181 111009 182
石碑に御嶽山とあり、ぼろぼろだが大口真神が坐す。
通りすがりの人は稲荷神社かと思うでしょうね。

中通備社稲荷社(桃井2-21-11)
111009 227 111009 233
ここも『杉並の小祠』から。うしろのお宅の方にお聞きしたところ、
名前はないと言われました。
なお前掲書の
稲荷社(今川1-7-1)
おしゃもじ稲荷社(桃井2-18-4)
第六尊天稲荷社(桃井3-8-20)
 は見当たりません。
井草八幡宮(杉並区善福寺1-33-1)
111009 369 111009 302
境内地10,200坪とか。

井草八幡宮
 この神社は旧上、下井草村の鎮守です。御祭神は八幡大神で、明治時代までこの付近の古い地名から、遅野井八幡宮とも呼ばれていました。境内東側付近からは縄文時代中期(約4,000年前)の住居址が発見され、多くの土器が発見されました。その中の顔面把手付釣手形土器は、国の重要文化財に指定されております。このように当社周辺は太古の昔から森もあり水も豊かで、生活に適した景勝の地であったと思われます。
 当社は900余年の歴史をもつと伝えられ、社前には源頼朝が文治2年(1186)奥州藤原泰衡征討の際、戦勝を祈願して手植寄進したという天然記念物の大きな松がありましたが、残念ながら昭和48年枯れてしまいました。また、江戸時代の慶安2年(1649)徳川家光は、社殿を造営させ朱印領六石を寄進しております。祭日は10月1日を中心に、3年ごとに神輿の渡御、5年ごとに鎌倉の昔をしのぶ珍しい流鏑馬の神事が行われています。
   昭和54年2月1日(引文元

111009 306 111009 325
左から三峯稲荷神社、三峯神社(相殿 山谷御嶽神社・新町御嶽神社)、
新町稲荷神社。
手水舎うしろ、左から三宮神社、祓戸神社。

111009 351 111009 346
東参道の奥に冨士浅間宮の燈籠がありました。

浅間神社(善福寺3-1)
111009 395 111009 400
北駐車場の一角に富士塚があります。ただし講碑などはなく、古墳みたい。
飛地境内神社として、廃絶していた浅間神社を1975年に再建したもの。
もとの境内にあった富士塚はなぜなくなったのだろう。

竹下稲荷神社(練馬区関町南2-3-22)
111009 432 111009 446
青梅街道が練馬区に入ってすぐの神社です。
末社とかなくて、無人の社務所が真新しい。

大和市神社(杉並区善福寺4-14-1)
111009 479 111009 472
おおわし神社と呼びます。銃で撃った大鷲を御神体として大正15年創建の神社。
ほんとうに剥製が祀ってあった。写真はこれで精一杯でした。
11月酉の日には大和市講中五十五家の世話人が熊手を売る店を出すとか。

善福寺稲荷社(善福寺4-7-20)
111009 511 111009 505
稲荷神社としか明記されていません。高台の背後は塀で区画されている。
不思議な空間です。階段下の祠は左香取社、右御嶽社。(前掲書)

市杵嶋神社(善福寺3-18-1)
111009 535 111009 526
善福寺公園への入り口に鳥居があって、弁天島への参道になっていました。

市杵嶋神社
 この島に鎮座する社は、市杵嶋神社といい、祭神は市杵嶋姫命です。
当社は江戸時代、善福寺池の弁才天といわれ、『新編武蔵風土記稿』には「池の南に弁天の祠あり。一尺(約30.3㎝)四方にて南に向う。本尊は石の坐像にて、長さ八寸(約24㎝)ばかり」とあります。 また、寛永年間(1624~44)には、それまで祀られていた右手奥の島から現在地へ移されたといわれ、それ以降、その島を「元弁天」という様になりました。
 「善福弁才天略緑記」によれば、この地域の旧名「遅の井」の地名譚(源頼朝が奥州征伐の途時この地に宿陣し、飲水を求めて弓筈で各所を穿ちましたが水の出が遅く、弁才天を祈り、やっと水を得た)に倣い、建久8年(1197)に江ノ島弁才天を歓請したのが当社の始まりとあります。
 このことから甘水に霊験ありとして、旱魃の折には区内はもとより、練馬・中野の村々からも雨乞い祈願に参りました。 雨乞い行事は、池水を入れた青竹の筒2本を竹竿につるして担ぎ、その後に村人達が菅笠を被り、太鼓をたたいて「ホーホィ、ナンボェ~」と唱えながら村境を巡りました。また氏神の前に井戸水ち池水をはった四斗樽4個をすえ、四方に散水しながら祈ったともいわれています。
 この様に旱魃の年毎に行われてきた雨乞いの行事も、昭和24年を最後に見られなくなりました。
   平成元年3月 (引文元
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  1. 2009/11/10(火) 21:47:29|
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