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東伏見稲荷神社(西東京市東伏見1-5-38) 2009年8月26日(水)

082609 004 082609 049
あっ、もう保谷市はないのか。田無市と合併して西東京市か。

082609 076



082609 068 082609 073
お塚案内図にはないが、拝殿と現在地の間に祓殿(たぶん)がある。

金鷹社
082609 090 082609 089

権太夫社
082609 115 082609 131

稲荷社
082609 296 082609 294
正殿の中心線に位置するのは石祠のみで、左わきに社殿がある。

太郎稲荷社
082609 142 082609 146

要町稲荷
082609 095 082609 100

三徳社
082609 160 082609 178

末広社
082609 185 082609 187


宇迦之御魂大神
082609 199 082609 204

保食大神
082609 210 082609 212

佐田彦大神
082609 219 082609 223

白狐社
082609 231 082609 235

旧祠(ふるいやしろの)納め処
082609 241 082609 242

082609 249 082609 250
白狐社 の背後にある。

愛徳稲荷大神 愛法稲荷大神 十戒徹修
082609 257 082609 269

082609 271

八幡大神
082609 316 082609 318

綾太郎稲荷社
082609 329 082609 332

白狐社
082609 339 082609 345
こちらの白狐社は2台ほどの小さな駐車場敷地にある。

末広社
082609 349 082609 351

開照大神
082609 355 082609 359
開照大神の由来
開照大神とは神代の昔天ノ岩戸の御前にて舞をまい天照大神の御心を和げ申上
げ御扉を開き再び世を照らさせ参らせた天鈿女命の御神でありまたの御名を宮
比の神と申し歌舞音曲の神として世の人の廣く知るところであります大正十一
年春故権大教正高木市之助翁霊感により開照大神の御神名にて御祭神とし世の
悩める人を救ひ給ひ霊験あらたかなるにより御神徳を慕ひ日々帰依する人も多
く殊に歌舞音曲を業とする人々の御信仰も厚く開照講宮比講を創り隆盛を極め
ましたが昭和八年七月高木先生没后楠見エイ氏先生の意を継ぎ同氏物故の後大
東亜戦争の際戦災にて神殿焼失致しました以後サダ祭祀の永久に絶えざる事を
念じつゝ小宅に奉斎し日々の御祭奉仕して参りました然るに将来を慮ばかり当
社寺尾宮司に其の旨相談致しました処御快諾を得て此の清き佳き処を選びて御
奉斎致しましたのであります因みに開照大神は京都伏見稲荷に末廣稲荷の御名
にて御祀りしある御縁故で茲に其の由緒を碑に録し永く世人のため守護を希ふ
ものであり毎月十二日を祭典日と致します
     昭和三十八年六月吉日      上野サダ記す


祖霊社
082609 370 082609 395

082609 384 082609 386
拝殿左のお塚入り口には昭和6年の玉垣が見られる。
福寿講と豊明講の奉納。キネマ日活松竹もある、

082609 393 082609 392
一番組から七番組が並ぶ。第何区なのかがわからん。


中島飛行機株式会社武蔵製作所 
殉職者慰霊碑

082609 015
建碑之由来

中島飛行機株式会社は大正六年十二月群馬県太田町に
創立され終戦後富士産業株式会社と改称した 昭和十
三年五月北多摩郡武蔵野町西窪に武蔵野製作所が建設
され昭和十六年十一月隣接地に多摩製作所が増設され
陸海軍に分れ生産を行つた 昭和十八年十月時局の要
請により両製作所を合併して武蔵製作所と呼称するに
至つた この間従来の従業員に日本全国からの徴用工
員男女動員学徒を加へその総数は五万人に及び日夜生
産に励み国内第一の航空発動機工場となった 米軍は
日本空軍の補給力を全滅するため武蔵製作所を本土編
隊爆撃の第一目標とし昭和十九年十一月二十四日の空
襲以来終戦まで十数回の爆撃が行なわれ爆弾五百発が
命中し二百余名の殉職者と五百名を超える負傷者を出
し工場は全く廃墟と化してしまった 武蔵製作所はこ
の爆撃のため終戦後平和産業に転換することが出来ず
富士産業株式会社武蔵整理部として整理業務に専念し
毎年十一月二十四日を迎える度に戦争の恐怖と罪悪を
想起すると同時に平和日本の礎となった殉職者の霊を
慰める祭祀を行った 昭和二十三年十月占領下である
にも拘らず慰霊碑の建立を企図中島飛行機株式会社武
蔵製作所殉職者慰霊碑建設委員会を組織し有志の浄財
をもって武蔵製作所稲荷神社跡に慰霊碑の建立を行い
同時に殉職無縁者永代供養のため武蔵野市源正寺に供
養碑を建立した 昭和二十三年十二月東伏見稲荷神社
司祭により遺族を迎え除幕式並びに慰霊祭を挙行した
爾来旧武蔵整理部従業員有志によってささやかながら
祭祀を続けてきたが慰霊碑の完全な保存と永代祭祀の
ため当所より多大の助力をされた東伏見稲荷神社の好
意により境内に遷座することになった 昭和三十九年
十一月に遷座を完了し翌十二月全国より遺族を招き遷
座祭並びに二十年祭を挙行した 茲に慰霊碑建立の由
来を記述して後世に伝え平和日本の礎となった中島飛
行機株式会社武蔵製作所殉職者の霊を永えに慰めんと
するものである

昭和三十九年十二月五日  
中島飛行機株式会社武蔵製作所 殉職者慰霊碑建設委員会


片野永正翁顕彰碑
082609 016
この人は検索に出て来ない。ここに記録する意味があるだろう。


 緑濃き武蔵野の一角に建設された武蔵製作所は、日本最大の航空発動機工場で
あった。翁は、まだ槌音の残る創設時には、少壮幹部としてその敏腕を縦横に発揮
し、栄光輝く最盛時には、企画室長となり最高枢機の部署を担当し、片野永正の名
は常に鬼才の人として生きていた。太平洋戦争中、十数回の爆撃を受け工場は廃墟
と化し多数の尊い犠牲者を出した。翁は、戦後、武蔵整理部の最高責任者として膨大
且つ困難な賠償・整理業務の陣頭指揮を執ると共に、逸早く戦火の犠牲となった殉職
者の慰霊奉祀を発願し、占領下の極めて厳しい状況の中で率先躬行慰霊碑建立に尽
力した。空襲の都度自ら殉難者の収容に当った身の切実な悲願であったであろうが、こ
の頃から鬼才片野から人間片野への大きな変貌が見られた。昭和五十年七月十三日
その生涯を閉じる迄、初代の代表理事として例大祭を主宰し、実にその半生を殉職諸霊
の奉祀に捧げてきたのである。そして翁の遺志は爾後連綿として継承されるであろう。
茲に浄財を以って慰霊碑のある境内に小碑を建て、翁の無量の徳心を永久に称えるもの
である。
    昭和五十一年十一月六日建之


          ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

神社名 東伏見稲荷神社
主祭神名 宇迦之御魂大神
由緒
当神社は昭和4年に官幣大社伏見稲荷神社(京都鎮座)の御分祀として創建された神社です。 御祭神は衣食住など人間生活のすべてを守り給う大祖神で、皇城の守護・万民豊楽の大恩神と崇められ給う御神霊であります。
伏見稲荷大神の御分霊を奉齋したいとの関東方面稲荷信仰者の熱心な希望と、稲荷信仰者の参拝の便を計り、また迷信など誤った信仰の是正浄化を計ろうとする伏見稲荷神社の協力によって当神社が創建されました。
東伏見と云う神社名は、京都伏見から東にお遷しした神社と云う意味です。御霊代が京都から着御と同時に西武線元上保谷駅が東伏見駅と改称され、その後地名も東伏見となりました。
北多摩神道青年会

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