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於満稲荷 中央区日本橋 2009年8月17日(月)

於満稲荷(中央区日本橋3-3-3)
081709 007 081709 008
東京駅八重洲口を出て、八重洲通りの一本北の養珠院通り。
八重洲大飯店といづみやの間にある。

081709 033 081709 021

於満稲荷神社縁起
此の神社の於満とは、徳川家康公の奥御前で養珠院様(於
満の方一五八○~一六五三)といわれています。養珠院様は
二人の男児に恵まれました。徳川御三家紀州家の開祖とな
った徳川頼宣公と、水戸家の開祖徳川頼房公の御生母で
す。また八代将軍徳川吉宗公や徳川光圀公(水戸光圀公
)も子孫に当たります。一六五七年の「明暦の大火」で
江戸城をはじめ、このあたりも記録とともに消失しまし
た。その後復興し、寛文(一六六一~七三)の記録に、この於
満稲荷神社が記されています。言い伝えでは、此の地
に幕府のご休憩所があり、信心深い養珠院様御一行が神
仏寄進のために日本橋界隈に物資調達にお立寄り、商業
に多大な貢献をした養珠院様ゆかりの地として、商人達
によって神社が建てられたとされています。 またそれ
から百年あまり後の寛延(一七四八~五一)には於満稲荷ゆかり
の「於満すし」が江戸中の名物となり、この地の賑わい
が記されています。
以来約三百五十年間、この稲荷神社は関東大震災など
数々の試練を乗り越え、この地の商売繁盛五穀豊穣
の稲荷神社として崇められ信仰され続けています。

平成十七年、中央区により「養珠院通り」となった通り
名の由来にもなりました。

             平成十七年七月吉日
              於満稲荷神社世話人一同
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  1. 2009/08/17(月) 18:18:33|
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