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義民六人衆を訪ねて 大田区南馬込・山王 2009年7月16日(木)

三島由紀夫邸(大田区南馬込3-)
071609 014 071609 006

高稲荷神社(山王4-45-20)
071609 081 071609 084

法光山善慶寺(山王3-22-16)
071609 223 071609 109
東京都旧蹟・文化財
新井宿義民六人衆について
善慶寺は法光山と称し正應五年(一二九二年)増田三郎右衛門にて建立
中老僧和泉阿闍梨日法上人をもって開基草創となす
大田区山王の地は昔武蔵国荏原郡新井宿村といわれ徳川の旗本木原氏の
領地であった 延宝年間四代将軍家綱の頃領主の圧制に苦しむ村人を代表し
六名の人達が直訴しようと義挙の行動を起こしたが捕えられ斬首の極刑に
散った義民である
一、義民六人衆霊位法号と俗名
  賢榮信士 間宮新五郎   四十七才
  道春信士 間宮太郎兵衛  三十九才
  宗圓信士 酒井権左衛門  三十八才
  嘯慶信士 鈴木大炊之助  四十七才
  椿葱信士 平林十郎左衛門 五十五才
  是信信士 酒井善四郎   五十三才
一、御命日 延宝五年一月十一日(一六七七年)
一、義民六人衆墓 昭和六年十二月二日 東京府史蹟指定
         昭和四十七年六月八日 境内地に移転
一、新井宿村名主惣百姓等 訴状写 昭和三十九年四月二十八日 東京都指定有形文化財
一、飼葉桶 六人衆の遺体を運ばれた同志市兵衛の馬、赤・黒二頭使用のもの
一、のり甕と古銭 義民六人衆が埋葬されていた甕 昭和四十七年六月発掘
  のり甕 口径七十八センチ 胴回り二百六十二センチ 高さ八十センチ
  古銭 大観通宝(宋銭)六枚
一、時の住職 第十九世 遠妙院日宣上人 延宝四年五月二日  遷化
        第二十世 証源院日應上人 享保二十年五月二日 遷化

新井宿義民六人衆墓
071609 179 071609 187
東京都指定旧跡
 新井宿義民六人衆 墓
所在地 大田区山王三丁目二十二番十六号 善慶寺
指定  昭和六年十二月二日

江戸時代の荏原郡新井宿村は、家康の関東入府から幕末にいたるまで、
旗本木原氏の知行地であった。四代兵三郎重弘の時代、延宝元年(一六七
三)の旱魃、翌年の多摩川の氾濫による洪水や長雨などの天災で農民の困
窮は甚だしく、過酷な年貢収奪に耐えかねた村民は、十九ヶ条の訴状(東
京都指定有形文化財「新井宿村名主惣百姓等訴状写し」)を提出して年貢
の減免を願い出た。この訴えは黙殺されたため、重立(おもだち)百姓六人は、将軍家
綱に起訴(おっそ)しようとしたが、決行直前の延宝五年(一六七七)正月二日密告
により捕らえられ、神田橋門外にあった木原内匠邸(現在の千代田区内神
田一丁目二~四番)で処刑されたといわれている。
 新井宿義民六人衆による起訴事件は、村人の中に語り継がれ、延宝八年
(一六七九)義民と縁故筋にあたる間宮藤八郎が、両親の墓を建てると称
して六人の法号を刻んで密かに建立したのがこの墓石である。正面に父母
の、裏面に六人の法名が刻み込まれており、台石の四方に花立と水入が取
りつけられ、その間をくり抜いて連結し、一箇所に水を注げば四方に行き
渡るように工夫されている。近年の寺域整備により改葬され、その際出土
した甕棺と義民六人衆の遺骸引取りの際に使役した馬の飼葉桶は境内に展
示公開されている。
 平成十三年三月三十一日 設置 
                東京都教育委員会
*ルビを()に入れました。

071609 189 071609 213

071609 172

熊野神社(山王3-43-13)
071609 121 071609 057
善慶寺の六人衆墓の隣に表参道の階段があり、公道には面していない。
高台にいたれば通り抜けは自在ですが、社殿向かって左にこの碑があります。

狐碑
此狐人尓害をな須古と久し (このきつねひとにがいをなすことひさし)
民ミ那是越悪む今茲耳 (たみみなこれをにくむいまここに)
文久元歳(1861)辛酉御嶽靱矢 (ぶんきゅうがんさいしんゆうおんたけゆきや)
市正埋禦萬世堀事南可連      (市のかみうめふせぐばんせいほることなかれ)

『武蔵国多磨郡御嶽山道中記 御嶽菅笠』(1834年)を出版した靱矢市正とおぼしい。

071609 077 
延宝4年(1676)12月28日の夜中、六人衆はこの境内に集い、
江戸表に出立した。

071609 155 071609 129
参道途中に稲荷社があり、斜面は大量にボク石が使われています。

薬師堂(桃雲寺跡・富士講碑)山王3-29-8
071609 259 071609 229
富士講碑は亀趺碑だった。

大田区文化財

桃雲寺再興記念碑

 当地(新井宿村)の領主、木原木工義
久が、村内の古寺を再興し、家祖吉次の
号をとって桃雲寺と命名した。この事
績を後世に伝えるため、嗣子木原内匠
義永が、寛文四年(一六六四)に建立し
たのが当記念碑で、撰文は林春斎である。
 碑文は木原氏累代の世系と、当時の
近郊の様子を知る好資料であり、江戸
初期の記念碑としても様式上注目され
る。
 桃雲寺は、明治十三年(一八八〇)八
月に馬込万福寺と併合され廃寺となっ
たが、現在は境内地若干と薬師堂のみ
が残されている。
  昭和四十九年二月二日指定
            大田区教育委員会

厳島神社(山王4-23-5)
071609 265 071609 274

071609 287

天祖神社(山王2-8-2)
071609 294 071609 296

071609 312 071609 328

日枝神社(山王1-6-2)
071609 343 071609 351

栄利稲荷/山王稲荷
071609 378 071609 394

071609 411
 日枝神社の本殿に向かって左側に稲荷社があり、その奥に庚申塔が2基建っている。そのひとつは1684年(貞享元)建立されたもので、刻まれている施主名のなかに「道春」「宗雪」の法名刻字がある。この二人は殺された六人衆の一人、間宮新五郎と、家に火を放って焼死した彼の息子のことだろうと考えられている。http://homepage1.nifty.com/oj-hiroba/oldeies/stock/stock_jisha18.htm

北野神社(南馬込2-26-14)
071609 436 071609 466

萬福寺(南馬込1-49-1)
071609 469 071609 489

071609 499 071609 550
当山開基 梶原平三景時の墓

梶原景時は源頼朝の重臣で鎌倉幕府の代表的武将である。治
承四年(一一八○年)頼朝は伊豆において源氏再興の挙兵をな
し小田原石橋山の戦いで平家の軍勢大庭景親に敗れた。
 この時景時はいち早く頼朝を助け洞穴にかくまい機を見て真
鶴海岸より舟で安房(千葉)に逃れさせた。
 その後、頼朝と共に東国武士を臣属せしめて鎌倉幕府を擁立
した。
 建久年間(一一九〇年)には頼朝の命により当山を建立し大
檀那となり三国伝来の三尊仏を本尊として祀り鎌倉殿の昌運と
必勝祈願をなした。その霊験あらたかなり。
 源平の戦いでは義経・範頼等と共に兵を引きいて富士川の戦・
一ノ谷の合戦などで勝ち赫々たる武勲を上げその名を天下に轟かす。
景時は鎌倉殿の絶大なる信任により頼朝の随身として常に幕
府の要職にあり終生変らず頼朝に忠節を尽し全うした。
 最も頼朝は命の恩人である景時がいなかったら頼朝もなく鎌
倉幕府も出現しなかったと言われている。景時の功績は大きく
実に天下をゆるがすものであり誠に美事と言わざるを得ない日
本の歴史上重要な人物の一人である。
 頼朝薨去(一一九九年)後の正治二年正月廿日(一二〇〇年)
三河、今の静岡で壮烈な戦死を遂げ当山に祀る。
 歌舞伎十八番の石切梶原の鎌倉八幡宮社頭の名場面は余りに
も有名である。
   昭和六十一年秋彼岸
                 萬福禅寺

071609 517
徳川幕府棟梁
 木原義久之墓
 徳川家の木工頭で木原家は元来尾張にあったが徳川家康の上
洛と共に江戸に入り大森山王高台を木原山と称して所領し邸を
構えて永く江戸幕府の棟梁をつとめた。その主な建物は次のと
おりです。
  一、日光東照宮の奥ノ院及び御廟
  二、上野寛永寺の徳川家御廟
  三、浅草寺の旧本堂
  四、上野東照宮の社殿
    (拝殿内に掲げてある棟札には義久の名前がある)
  五、赤坂の山王日枝神社旧本殿
等が代表的なもので現存のものはすべて国宝・重要文化財とな
っている。
 一族のうち義久。義永の二代が最も有名であるがその後幕末
まで地頭。代官をつとめていた。

  昭和六十一年秋彼岸会
             萬福禅寺


墓誌(西暦を明記、記載は未完)
(1610)慶長十五 戌 ○月十一日  桃雲浄見居士 前木原七郎兵衛尉 吉次
(1605)慶長十年 巳 三月十八日  法譽周心禅宗尼

(1602)慶長七 寅 六月十四日  法叟浄傳居士 前木原兵衛三郎 ○次
(1648)慶安元 子 三月十一日  源高院殿南室妙薫大姉

(1612)慶長十七 子 三月十七日  沽嶽道洗居士 前木原兵三郎 家次
(1637)寛永十四年 丑 三月十三日 ○朋院殿雪窓妙庭大姉

(1656)明暦二 申 霜月十日  自覺院殿心源宗徹居士 前木原木工頭 義久

(1663)寛文三 癸卯 年二月十有五日
      義永造立之

神明神社(南馬込1-40-11)
071609 555 071609 566
幼稚園の敷地内にあって入れません。たぶん日曜日には開門されるのかな。

馬込八幡神社(南馬込5-2-11)
071609 575 071609 592

071609 647 071609 639

大田区立郷土博物館(南馬込5-11-13)
071609 678 071609 704
玄関を入るとき大音量のチャイムが鳴るのはいただけません。
水止舞の衣装道具一式が展示されていた。石棒はお約束です。

金剛地蔵尊(南馬込3-11)
071609 716 071609 721
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  1. 2009/07/16(木) 22:51:32|
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