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水止舞の下見(厳正寺)と上神明天祖神社 2009年7月7日(火)

*7月8日由緒書などの文字起しを追記しました。

厳正寺(大田区大森東3-7-27)
070709 002
7月14日の水止舞のロケハンで立ち寄りました。
祭り当日はこちらを。

070709 024 070709 017
すでに舞台も整い、

070709 072 070709 074
本堂には藁筒がすでに用意されていました。

070709 079 070709 043
出発点の大森東中学校校門前も確認。

上神明天祖神社(品川区二葉4-4-12)
070709 095 070709 181
昨日偶然検索で見つけたので行ったのですが、厳正寺と浅からぬ
関係があるようだとは、現地で知りました。

天祖神社由緒
神社名 上神明天祖神社
旧社格 村社
鎮座地 品川区二葉四丁目四番十二号
御祭神 主神 天照大神
     配神 天児屋根命・応神天皇

文永八年(鎌倉時代)・西暦一二七二年)十一月十日北條四朗
左近太夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を
与え蛇窪(現在の品川区二葉四丁目付近)に残って当地
地域を開くように諭して、自らはこの地を去りました。
 時千代は、後に法圓上人と称して大森(大田区)に厳正寺を
開山し、家臣たちの多くは蛇窪付近に居住しました。
 現在でも、厳正寺の檀徒がこの地域に多いのは、こうした理由からです。
 文永八年の秋から五十年ほど経て、元享二年(西暦一三二二年)
武蔵の国(現在の東京・埼玉)一帯が大旱魃となり、飢饉の到来
は必至と見られました。このとき、厳正寺の当主、法圓の甥の第
二世・法密上人は、この危機を救うため、厳正寺の戌亥の方向
(北西)にあたる森林の古池のほとりにある龍神社に雨ごいの
断食祈願をしました。上人の赤誠と神霊の冥助により、大
雨が沛然と降り注ぎ、ついに大危機を免れることができ
ました。
 これに感激した時千代の旧家臣たちは、蛇窪に神社を
勧請(神仏を別の場所に移して祀ること)し、神恩にこたえた
てまつりました。
 これが、現在の天祖神社の縁起とされています。
一説には、鎌倉幕府時代に、この地の豪農、森屋氏(現姓
森谷氏等の先祖)が建立したものとも伝えられています。
 下神明天祖神社との関係は当初同一村同一神社でした
が、正保年間(一六四四年)今から三六三年前に下神明が
上神明から分立したためです。

 平成十八年六月吉日
     天祖神社
       宮司 斎藤篤信

伏見稲荷神社
070709 111 070709 123

070709 146 070709 154

070709 148 070709 166
このコマギツネ、かなりツボにはまりましたね。
台座には 作 真鍋勝 とあります。
厳島弁財天社
070709 203 070709 196
水盤にいきなりの白龍です、でかい。

070709 302 070709 250

弁天社のいわれ

鎌倉時代、天祖神社の社殿の左横(現在の消防団車庫付近))に清水が
湧き出る洗い場があり、そこに白蛇が住んでいました。
時移り、いつのまにか洗い場がなくなり、やむなく白蛇は現在の戸越公園
の池に移り住むようになりました。
 あるとき、土地の旧家森谷友吉氏の夢枕に白蛇が現れ「一日も早く
もとの住みかに帰してほしい」と懇願しました。森谷氏はこの話を
宮司に伝えて、白蛇をもとにもどすよう願い出ました。
宮司は弁天社を建立することに決め、現在の駐車場地に池を
掘り、池の中央に小島を設け、その中の石窟に石祠を造って白蛇を
祠ることにしました。
 古老の話によれば白蛇を迎える日の夜、祝詞を奉上しよう
としたとき、それまでのかがやくばかりの星空が一天にわかに
かきくもり、雷鳴とともに大風が立ち起り身のすくむ思いだっ
たということです。
戦後昭和二十九年に桜井昌利氏をはじめ有志一同の御浄財に
より、お社は現在地に移され、上屋・弁天池などが造成されました。
当地名が蛇窪と言われた由来からみても、天祖神社は
弁天様と蛇と密接な因縁があると理解されます。
白蛇は弁天様の使者として、いつでもおそば近くで弁天
様をお護りしています。それはちょうど私達氏子全体を
護ってくれるようでもあります。

070709 215 070709 234

070709 240 070709 223
奉納白大蛇 真鍋勝建之 昭和五十年二月五日
なんと言いましょうか、真鍋ワールドです。

土搗石
070709 312

土搗(づつき)石のいわれ

この土搗石は江戸時代より武蔵国荏原郡上蛇窪村
に伝わる石で村内で住居、納屋などの普請がある
度に村人が交替で手伝い歌を歌いながら敷地を
固めた石で(別名オカメサン)大正七年頃まで使用し
たものです。
このたび六十八年間所在不明であったこの石
を平沢忠義家にあるのを譲り受け社宝と
して後世に伝えるものです。
  昭和六十一年十二月吉日
    天祖神社社務所
    資料提供者 桜井栄次

万作神社(大井3-21)
070709 332 070709 340
株式会社 斉藤万作工場の敷地に建つ。

070709 338
この軍人は?

東関森稲荷(大井2-16-14)
070709 352 070709 362
摂社三峰神社。

下神明天祖神社(二葉1-3-24)
070709 396 070709 428

伏見稲荷神社
070709 448

神社名 天祖神社(下神明天祖神社)
鎮座地 品川区二葉1丁目三番二十四号
御祭神 天照大御神(神明さま)
     応神天皇 (八幡さま)
     天児屋根命 (春日さま)
例祭日 九月中旬(縁の日は九月十六日)
由緒沿革
  
窪地であったこの一帯は、江戸に幕府が置かれる前の戦乱激しき時代より陣を
張るのに適していたため兵備窪と称されたと云われており、後に蛇窪と
記されるようになった。
神社については大荏原総覧に「その鎮座は不明なるも六代将軍家宣
時代より社として崇拝されていたと伝えられている」とある。又、荏原区史に
「その時代は不詳であるが、上・下蛇窪の分立は正保年間である」と記されている。
元々は神明宮と呼ばれていたが、村が立会川の上流域と下流域に分かれた
のに伴い社も分立し(一六四三)天祖神社と社名が制定された。
神明造りの現御社殿は昭和四十七年の建立である。また、御神木のカヤを
始め二十一本の境内樹木が品川区保存樹に指定されている。
明治七年四月二日、無格社より村社に昇格された。
明治四十二年十二月十二日、無格社稲荷社が境内に併合された。



西大井駅の近く、旭稲荷(二葉2-10)と旭稲荷大明神(二葉2-27?)が
見あたりませんでした。
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  1. 2009/07/07(火) 22:36:17|
  2. 東京散歩
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  4. | コメント:0
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