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中央区小社めぐり 2008年12月11日(木)

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東京駅から外堀通りを越え、さくら通りに入ると目に入ったのが
豊川稲荷(八重洲1-5)。これは予定外でした。


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日本橋高島屋の屋上には何かあるだろうと思って。ひどい逆光だがこれは・・・

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七福神の七角堂だった。

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フロア案内にも出ていないし、何の表示もありません。


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大原稲荷神社(日本橋兜町11-3)。中央署向かい。社殿はなんとも味気ないが、

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榮太楼総代の奉納社額や背後に隠れた狐塚など見所あり。

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山一證券・・・  昭和四十九年奉納。


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坂本町公園の巻貝すべり台。でも使用禁止。
阪本小学校玄関のブロンズ“少女”。

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鳥居稲荷神社(日本橋兜町20-2)。

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天祖神社(八丁堀3-6-6)。伊雑宮分社。

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御鎮座三百五十年の喜辰に當り御神徳の灼然なるを悦び畏み奉り大神様の
大神恵に對し畏敬の念を捧げて奉祝の御祭儀を盛大に執行し御鎮座の経緯を
記して子々孫々に傳ふ
    昭和五十八年十一月吉日  八丁堀三丁目西町会

伊雑大神宮御縁起

  御祭神 伊佐波登美命
       玉柱屋姫命

志摩国答志郡伊雑村二鎮座セル天照大神宮ノ別宮ヲ伊勢長官出口市正ト云者
近衛公ノ御内命ヲ蒙リ寛永元甲子年五月上旬東へ下リ寺社奉行ヘ願出
武蔵国豊島郡江戸日本橋通三丁目ヘ間口拾間奥行拾弐間社地ヲ賜リ間口
三間奥行五間ノ御社建立シテ御祀リ申上候其後寛永拾癸酉年六月下旬
公儀ヨリ社地御入用ノ趣キ寺社奉行ヨリ被仰渡八丁堀松屋町ヲ代地トシテ
社地参百坪賜リ舊社ヲ取崩シ松屋町ヘ再建シテ御遷宮申上候
氏子ハ松屋町岡崎町長澤町元島町仲町ノ五ヶ町トス
右御縁起如此御座候恐惶謹言
 宝暦元辛未年二月吉日       名主 長澤次郎太郎




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今村幸稲荷神社(八丁堀3-24-11)。
神田小川町の幸徳稲荷と同じく、踊り場神社方式。 

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日比谷稲荷(八丁堀3-28-15)。宗教法人格を取得していることを公示しています。

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日比谷稲荷神社 御由緒

 日比谷は、元々江戸海岸の入江であって、ヒビを立てて海苔を採っていたの
で「ヒビ谷」と称しました。長禄元年に、太田道灌が江戸城を築いた時、天地
の恵みに感謝して、生命の根である稲荷神を祭るため、城外日比谷の海岸(現
在の日比谷公園の土地)に、御社殿を建てたのが、此の日比谷稲荷神社の始ま
りであります。
 天正十八年より慶長七年に至る十三年間は、徳川家康が、江戸城の主として、
関東太守でありましたが、慶長八年二月十二日、天皇より征夷大将軍に任ぜら
れると、江戸城は、一耀天下の主城としての大拡張工事を始めることになりま
した。
 慶長十一年に、日比谷稲荷神社の所に、江戸城日比谷御門が建設されること
になった為に、代替地を芝口に賜わって移転したのが、現在の新橋四丁目十三
谷神社であります。
 然し、どうしても海岸に祀られないと困る崇敬者の人々は、日比谷稲荷大神
を戴いて、八丁堀先の干潟を埋築し、そこに御社殿を造営し 御神霊を御遷
座申上げたのが、当神社、日比谷稲荷神社であります。
日比谷稲荷神社は、此の新しい土地の地主神として、丁寧に祭祀されていた
ので、此の一角は、永い間に亙って、日比谷町と公称されていました。
 東京都公文書館所蔵の、「明治十二年神社明細帳」には、   無格社日比谷
稲荷神社は、明治六年一月七日の日付で、所在地は、武蔵国豊島郡京橋区日比
谷町一番地河岸地境内二十五坪三合除地          となっています。
 大正十二年九月一日の大震災後の区劃整理で、日比谷町は、隣接の幸町、長
沢町等と合併の上。八丁堀三丁目と呼ばれました。また、大東亜戦争終戦後は、
住居表示改正で、西八丁堀三丁目と合併した。今日の八丁堀三丁目の一部とな
りました。然し、旧日比谷町に当る一区劃の地主の神は、変ることなく、今も
昔も、此の日比谷稲荷神社であります。
 往古、日比谷の海岸に在った頃、旅人御守護に霊験が篤かったので、江戸へ
来た人々が、多く当日日比谷稲荷神社に泊って、お詣りしたので、これを「旅泊
稲荷」とも唱え、「さばいなり」と読んでいました。
 後に、虫歯に苦しむ人は、鯖絶ちをして、日比谷稲荷神社に祈って、よく助
かったというので、鯖を供えてお礼詣りする人が頗る多くなりました。そこで、
此の意味からも「さばいなり」と通称され、鯖の絵馬、扁額が社殿に多く掲げ
られるようになりました。
 然し、最初の御鎮座の時の精神が、天の光、地の恵みに対する感謝の誠心を
あらわすことにありましたように、今でも、旧日比谷町に住み且つ事業を
営む人達が、御守護を受けている地主神としての日比谷稲荷神社を拝んで、天
地の御恵みに感謝し、家庭では、各自の親先祖を大切にして、暴飲暴食を戒め
てゆけば、必ず必ず、天地の御守護に感激さる。開運の人となることが出来る
のであります。
平成十八年十二月吉日 宗教法人七〇〇二 日比谷稲荷神社

*「耀」の字と文字間の空きは原記載のママ。


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純子稲荷神社(日本橋茅場町3-13-6)。純子大神。

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玉垣に田中貴金属工業株式会社があった。

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新亀島橋のたもとに戦災遭難死者慰霊碑と大震火災遭難者追悼碑が並ぶ。


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室町砂場であられそばを食す。(゚д゚)ウマー

ぜん(日本橋小伝馬町13-1)という店は木造三階建てをそのまま
使っているのだろうか。いや三階まで客室がある、消防の許可は
おりなかろう。ビルにそれらしくサイディングしてあるのでしょう。.
もっと近くで観察すればよかった。

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池洲神社(日本橋堀留町2-4-10)。

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富澤稲荷神社(日本橋富沢町7-18)。摂社に初姫稲荷神社。

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末廣神社(日本橋人形町2-25-20)。

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末廣神社の向かいK&Yビルのこれはなんというか、石子詰めモニュメント?
人形町喜寿司。垚寿司と書くべきだな。昔行ったときはなんと立派な門構え
だろうと思っていたが、記憶にまさる美化はなしときたもんだ。

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日本橋三越新館。日本橋の向こう国分ビルにかがり火のともるテラスがあって、
ニホンバシイチノイチノイチという町名そのままの日本食ダイニングでした。
あ、ゼットン系列か。あんまり味とかうるさいことを言わなければいい場所だろうな。
テラスの手すりがなんとも残念だ。

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  1. 2008/12/11(木) 22:20:06|
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