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チリ地震津波観測ツアー 2010年2月28日(日)

真鶴半島三ッ石海岸
022810 029 022810 055
チリ地震津波の観測に、真鶴半島へ行きました。
最初は九十九里浜を考えていたのですが、車両の
安全確保を最優先としました。
13:30 ごろ、海自の巡視艇うみかぜと哨戒へりSH-60K が警戒中。

14:00
022810 062

14:29
022810 177

14:59
022810 219
津波到達時刻は、
三浦 02:48 20cm
伊東 02:55 20cm
でした。
験潮儀潮位でこれでは目視は不可能です。
NHK は鴨川市加茂川で波状段波かもというのを記録していましたが、
九十九里ポイントにも川があったのでいささか残念です。
しかしこれしきの津波でどうなんだろうか。
1983年NHK特集『目撃された大津波』を見返したところですが、
やはり違うような気もします(03/01 20:10 追記)。


伊東
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  1. 2010/02/28(日) 18:34:10|
  2. 災害
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御殿場から田子の浦そしてまた 2010年2月23日(火)

腰切塚展望台(静岡県裾野市須山地先)
022310076.jpg
東名御殿場インターより富士演習場を通過してスカイラインに入り、
水ヶ塚公園駐車場から腰切塚展望台に登りました。
氷結してちょっとあぶなかったが、たいして時間はかからない。
宝永火口がここまで大きいとは、初めて実感できました。

022310066.jpg 022310106.jpg
駐車場に入る前、三角山神社入口でも見かけていましたが、富士宮市方面に
向かう途中、車道わきでニホンジカの当歳仔が枯れ枝を食んでいました。

田子の浦・鈴川の富士塚(天の香久山)
022310128.jpg 022310180.jpg
田子の浦港の富士塚を見に行きました。天の香久山と呼んでいるらしい。
ごろたをコンクリで固めた富士塚だからなあと、あまり期待していなか
ったけれど、背後の富士山を目の当たりにしたらもう何も言うことはあり
ません。

阿字神社里宮
022310193.jpg

[御殿場から田子の浦そしてまた 2010年2月23日(火)]の続きを読む

テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2010/02/23(火) 17:51:31|
  2. 東京散歩
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篠山貝塚と大前神社再訪 2010年2月22日(月)

大前神社(栃木県下都賀郡藤岡町大前)
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前回訪問時、碑文の撮影がうまくいかなかったので、機材を揃えて再訪です。
やっと磯城宮の刻字を判然とすることができました。

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土地の古老とお話していたら、富士塚が二つあると聞き、ああこれも
富士塚だったのかと今更気がついた次第。二荒山大神です。
かなり離れた街道沿いに鳥居があると聞いて確認しました。
右の食品スーパーは「とりいや」という屋号でした。

篠山貝塚(渡良瀬遊水地そば)
022210079.jpg 022210107.jpg
ヨシ原は貝塚とは反対側での撮影です。北駐車場に→0.5kmとの
案内がありましたが、看板があぜ道に面していないので普通わから
ないんじゃなかろうか。

022210123.jpg 022210125.jpg
畑が貝殻だらけなんですけどね。古東京湾の最奥の貝塚、来た甲斐がありました。
  1. 2010/02/22(月) 19:56:49|
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富士宮市から鳴沢村へ 2010年2月21日(日)

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富士山頂が見えるうちにと東名富士インターを降り、目的地に着きました。
午前10時すぎには雲に覆われてしまいましたが。

山宮浅間神社(静岡県富士宮市山宮)
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富士山本宮浅間大社の山宮には本殿がなく、磐境の彼方に富士山本体を望む。
撮影条件としては半端な斜光とシーイングでしたが、写るだけでも十分です。


022110153.jpg 
参道の一隅に双体道祖神。

千居遺跡配石遺構(富士宮市上条1818-9外)
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大石寺の所有地で、調査後の配石遺構がそのまま放置されています。

人穴浅間神社(富士宮市人穴206番地)
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富士山の側火山、犬涼み山溶岩流(大雑把に言えば縄文時代)で形成
された溶岩洞窟。いわゆる富士の人穴ですが、

022110355.jpg 022110277.jpg

022110327.jpg 022110286.jpg

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建仁三年(1203)六月大三日己亥。。將軍家、駿河國富士の狩倉于渡御す。彼の山麓に又大谷〔之人穴と号す〕有り。
其の所を見究め令めん爲、新田四郎忠常 主從六人を入れ被る。忠常 御釼〔重寳〕を賜はり人穴に入る。今日歸り出不に暮畢。

建仁三年(1203)六月大四日庚子。陰。巳尅。 新田四郎忠常 人穴を出で歸參す。往還に一日一夜を經る也。
此の洞狹く兮踵を廻らすに不能。意不に進み行く。又、暗く兮心神を痛み令む。主從  各  松明を取る。
路次の始中終、水流れ足を浸す。蝙蝠、顏于遮り飛び、幾千万を知不。
其の先途は大河也。逆浪 漲り流れ、渡らんと欲する于 據を 失う。只、迷惑之外他無し。
爰に火の光に當り、河の向に奇特を見る之間、郎從四人忽ち死亡す。
而るに忠常彼の靈之訓へに依て、恩と賜はる御釼於件の河に投げ入れ、命を全うし歸參すと云々。
古老云はく。是、淺間大菩薩之御在所。往昔の以降、敢て其の所を見るを得不と云々。今の次第尤も恐る可き乎と云々。

吾妻鏡入門より引用しました。

[富士宮市から鳴沢村へ 2010年2月21日(日)]の続きを読む
  1. 2010/02/21(日) 18:51:03|
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赤塚諏訪神社・田遊び 2010年2月13日(土)

021310 385
またもや夜の祭りに朝から出勤です。幟を揚げるお手伝いもいたしました。
祭礼というものは準備から見ておかないと、私にとっては無意味ですから。
それにしても、連日ともなるとさすがに骨身に堪えマス。

(02/18 追記)北野・赤塚ともに唱歌の全文が収録されている文献を上げておきます。
菊池山哉著『東国の歴史と史跡』吉川弘文館、1967.


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微雨に見えて細かな雪が降っている。

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会長さんにお願いして社務所で道具を作成しているところを
見せていただきました。巻紙に認められているのは田遊役定です。
詳しくはのちほど。

021310 122 021310 110
鍬はやはりトネリコと餅でしたが、餅つきは昨日だったそうです。
祭礼に使うのはこの八本のみです。
隣接する竹の子公園から竹が伐り出されていきます。

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しばらく眺めて、ああ月と太陽ね。日月鉾と呼ぶそうだ。

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昼過ぎのもがりにはなかった神旗が備わった。
享保20年5月(1735年)の旗がある。
[赤塚諏訪神社・田遊び 2010年2月13日(土)]の続きを読む
  1. 2010/02/13(土) 23:25:06|
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徳丸北野神社・田遊び 2010年2月11日(木)

北野神社(板橋区徳丸6-34-3)
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田遊びは18時からですが、雨のため拝殿内の行事に変更です。
祭事が終わって太郎次と安女が記念撮影に応じてくれました。

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ま、雨で神事の撮影は無理と踏んでいましたが、朝9時過ぎには現着
していました。ある意味祭事本番より準備段階が知りたかったので。
もち米が蒸し器にかけられ、臼に注連縄が巻かれ、修祓されました。

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丸もちに皮を剥いだニワトコ(アオヒバ)の枝を刺して、どうやら鍬を
模しているそうで。もがりは四方竹を巡らせたのみで、舞台は作らなかった。

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藁で松明を二束作っていました。急遽トラックで運んできた方の言に
よると20年前の藁だそうです。
昼ごろ、大根おろしと海苔入りのだし汁に浸したもちが振舞われます。
このあと、臼と蒸し器とテントがすみやかに撤去され、境内には火の
番をする消防団しかいなくなりました。 [徳丸北野神社・田遊び 2010年2月11日(木)]の続きを読む
  1. 2010/02/11(木) 23:33:08|
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匝瑳市時曽根の大蛇まつり(の翌日)2010年2月9日(火)

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千葉県匝瑳市時曽根では2月8日に辻切りが行われるのですが、
あいにく日程の都合がつきませんでした。ここ、時曽根コミュニティセンター
で三体の蛇が作られたはずなんですが、探し当てるのにずいぶん時間が
かかってしまいました。

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コミセンから国道126号へ向かう道でやっと北の辻切りを発見しました。
ここの蛇は目も藁で出来ているので、意外と目立ちません。
さてここから次がわからない。車でぐるぐる回っても手がかりがない。

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コミセンに立ち戻って考えました。もしかしたらここを中心とした狭い範囲
に架けられているのでは。近くの道を曲がるとすぐ西の辻切りと遭遇しました。

020910 096 020910 108
さて反対側の道はと言えば車で探し回った道だったので逡巡していたのですが、
通りすがった車の人に声をかけていただいて、確かに先の分岐点にあるとのこと。
これですべての大蛇を確認することが出来ました。

折戸神社
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せっかくここまで来たんだから、もう少し回ってみようと飯岡へ向かいました。
三川(sangawa)地区にも辻切りがあるようですが情報がありません。
折戸神社に寄ったくらいで、飯岡海岸に下りてみる。
固い砂の浜を車で走り回ることができる!
(以下編集中)
  1. 2010/02/09(火) 23:52:36|
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栃木県下都賀郡藤岡町大字大前字磯城宮 2010年2月2日(火)

大前神社
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古田武彦『関東に大王あり 稲荷山鉄剣の密室』創世記,1979.
を読んで以来、ぜひ現地に行ってみたいと思っていた大前神社です。
金錯銘鉄剣の、今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下 にある
斯鬼宮はここではないかと言うのです。
来る3月29日より、合併によって下都賀郡藤岡町大字大前は栃木市藤岡町大前
となります。今も字磯城宮として地名が残っているわけですが、明治12年土地
改良事業のため神社地は遷座しています。神社北400mほどの樹木の茂る台地が
故地で、神社から100mほど北の畑地に移転の碑が立っていました。

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この石碑は遷座の時に建てられたもので、中央三分の一に建碑の由来が刻まれ、あとは全周
ぎっしり四段に奉納者名と金額が記されていました。大前神社其先号磯城宮というのは現地
では読み取れず、斜光ライティングで撮影した画像で確認しました。明治12年に磯城宮という
神社名称が奉納者署名によって裏書きされていたことがわかりました。
やはり科学の手続きとしてシキ宮の候補地はこことの比較を抜きには成立し難いし、雄略天皇
がシキ宮にいた記録も存在しないのに、江田船山古墳の鉄剣の欠字を獲加多支鹵大王と読み変
えて雄略の日本統一の証拠とするなど、そもそも手続きが不正としか思えません。

1971年に『「邪馬台国」はなかった』(朝日新聞社)が出版され、たぶんその翌年あたりに
読んだと記憶しているのですが、壱と臺との錯誤を三国志全体から拾い出すという方法論が
前人未到だったことに驚嘆し、以後古田武彦氏の著作をほぼ通読していますが、当初から考
古学業界が古田説を受容することなどありえないと思っていました。
考古学業界の 語ることの多くが意味不明でわけがわからなかったのは、相撲協会のような
互助会的な集団を想定すれば何の不思議もなかったわけで、大方向の批判には原理的に対応
できないことはあきらかでした。黙っていれば日本では自動的に
〝20年経ったらなかったことになる法則〟が発動されることになっているのですから。
東日流外三郡誌偽作騒動はわたしには興味ありません。真偽いずれにせよ、過去の業績を
巻き込むほどのイベントではないし、真偽を検証する時間をわたしは正当化できません。
新進気鋭の考古学者にして、纒向古墳群を「邪馬台国」か?と考える人が多いことに比べれば、
偽書騒動など枝葉末節です。なおわたしは適正な手続きをもって構成した学説を個別に重視する
もので、古田史学を信奉しているわけではありません。
わたしが最も嫌うのは礼儀知らずであり、flyingman さんの災難には義憤を覚えます。

以下にあげるのは火山学者の大会発表要旨ですが、わたしが理学的年代測定結果が支持するのは471年だ
けで、雄略天皇という定説とは無関係に処理しなければならないと、それとなく指摘したのですが、無駄
でした。大学に籍を置き、考古学者に接する環境にあると、これしきのことがわからなくなるのですね。
古田武彦と書くだけで変なのが湧いて全否定しに来るので言及したくなかったのですが、記録しておかねば
と考えました。

日本地球惑星科学連合大会2009年予稿 早川由紀夫ほか

渋川噴火の年代は、従来考えられていた6 世紀前半よりやや古く、5 世紀末の495 年前後だったことが今回わかった。この測定結果は日本考古学における古墳時代の編年に確固たる拘束条件を与える。たとえば、埼玉県の稲荷山古墳から1968 年に出土した金錯銘鉄剣に刻まれている「獲加多支鹵大王」は雄略天皇であり「辛亥年」は471 年に当たるとする日本史学の定説を、この理学的年代測定結果は強く支持する。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jepsjmo/cd-rom/2009cd-rom/program/session/pdf/V159/V159-008.pdf

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富士塚がありました。三つの石祠は明治・大正・昭和天皇を祀っていました。
  1. 2010/02/02(火) 23:19:22|
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船橋市中野木の辻切り 2010年2月1日(月)

2月6日(土)記事入れました。

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船橋市中野木の辻切りは2月初午に八坂神社境内で作られます。
けっこう雨の降る中、16時から辻架けに入りました。
左が西の雄蛇、右が東の雌蛇。同時に神社を出発します。

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境内には富士塚?がありました。磐根錯節というのかな。
下見で西と東の辻切りを確認しておきます。

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正午には神社の集会所に人が入り、どうやら各家の小蛇を作っているようです。
13時ごろから大蛇作りの人が増えてきましたが、雨も降りはじめてきました。
枝を切って墨塗りしているのは尾に結ぶ剣でした。
蛇に挟んでいるお札についてお聞きしたら、ここは社寺から頒布されるのでは
なく、自家製なんだそうで、その原版と共に見せていただきました。
よ、読めない。八坂神社なら蘇民将来子孫也とかあるんだが。

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本来は各家庭の小蛇もすべて神社で作るものだったそうですが、作ったものを
いったん社殿に置きにくる人が多い。七蛇持ってきた方に聞くと、近隣に頼ま
れて作ってあげたとか。
目の中には抹香を入れるそうです。挿すのはヒノキ、ヒイラギ。

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社殿に両大蛇を供え、お神酒をさしあげてから集会所で直会になりました。
写真は東の雌蛇の辻架けが終わって三本締めするところです。
  1. 2010/02/01(月) 19:35:35|
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