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2009年12月29日(火)

 

122809 270


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  1. 2009/12/29(火) 19:43:32|
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駆け足で京都 2009年12月27日(日)

_DSC0005.jpg _DSC0022.jpg
関西での法事の合間に京都に立ち寄りました。
我が家のC.E.O が毎年訪れて瓦寄進している
洛北幡枝圓通寺に駆け込んで、今年も寄進する
ことができました。駐車場が整備されて築地塀
の修理も始っていたのは嬉しい驚きでした。
帰る道筋にある川端道喜の張り紙には、
本年分粽売り切れました。粽のご用は来春、節分明け、
(二月七日ごろ)を予定しております。とありました。

_DSC0038.jpg _DSC0054.jpg
予約していた寺町京極の三嶋亭ですきやきを食し、

_DSC0084.jpg _DSC0076.jpg
錦市場と麩屋町通りの角で本日より、正月飾りの出店が
立つと聞いて、さっそく買い需めました。
三嶋亭の人が買いに行ったときは大変な混雑だったそうです。

_DSC0088.jpg _DSC0117.jpg
四条河原町に車を移動して、四条通りの八坂神社お旅所
とか火除天満宮など数ヶ所をめぐりました。
  1. 2009/12/28(月) 00:19:24|
  2. 京都散歩
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「冷泉家 王朝の和歌守展」 東京都美術館 2009年12月20日(日)

122009 008 122009 014
展覧会というのは基本的には物を見る環境ではないと思うので、
たまあに行かなくちゃという催事があっても、最終日にやっと
行くことになったりするわけです。乞巧奠の祭壇「星の座」が
再現されていましたが、実演も行われたのでしょうね。
定家を歌の師と仰ぐ(おい!)わたくしが明月記の原本を見な
くてどうするということで、なんと言っても後期展示の目玉は
超新星の爆発記事でしょう。漏刻博士安倍泰俊の返書が挿入さ
れている部分を実見することができてよかった。
以下、赤字が挿入された返書で、大文字が泰俊の書状、小文字
が参考のための客星出現年表です。
参考(藤原定家:超新星と陰陽道

明月記寛喜二年冬記(1230年) 十一月八日条
八日(乙未)。霜凝り、天晴る。北山雪白し。
客星の事、不審に依り泰俊朝臣に問ふ。返事此の如し。
暁夕東西の条、驚きて余り有り。

客星、一昨日の夜全てを露し現じ候ひ了んぬ。
出現以後、去る二日陰雲見えず候ふ。其の外は天快
晴、連日之を見候ふ。而も此の一両日は引き運ぶ無く、
天暁艮の方に見え候ふ。暁夕東西に出現し候ふの条、
以ての外に候ふ。

客星出現の例。
皇極天皇元年秋七月、甲寅、客星月に入る。
陽成院貞観十九年正月廿五日、丁酉、戌の時、
客星辟に在り。西の方に見ゆ。
宇多天皇寛平三年三月廿九日、己卯、亥の時、
客星東に在り、星の東方に成る。
相去る一寸の所なり。
醍醐天皇延長八年五月以後七月以前、客星
羽林の中に入る。
一條院寛弘三年四月二日、癸酉、夜以降、官中に騎す
大客星あり。熒惑の如し。光明動耀、連夜正しく南方に見ゆ。
或は云ふ、陣に騎す将軍の星変じ、本体光を増すかと。
後冷泉院天喜二年四月中旬以後、丑の時、客星觜を出て、
度に参じ東方に見ゆ。孛天関星、大なること歳星の如し。
二條院永万二年四月廿二日、乙丑、亥の時、客星彗大微の
宮中に見ゆ。
高倉院治承五年六月廿五日、庚午、戌の時、客星
北方に見ゆ。王良星に近く、伝舎星を守る。


午終許りに心寂房来る。

(今川文雄『訓読明月記』河出書房新社,1978 より)


たまきはるよのことはりのゝかれぬにありてとはれぬとしをふるかな
                      (拾遺愚草員外之外)
  1. 2009/12/20(日) 18:24:54|
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稲城市妙見寺から穴澤天神社 2009年12月19日(土)

神王山妙見寺(稲城市百村1588)
121909 232 121909 225
蛇より行事は毎年8月7日に行われるという。妙見寺境内社妙見宮の参道山下の
二十三夜塔前に蛇の頭があり、胴体は延々と石段に沿い、妙見宮の境内を回り
込むのだとか。

121909 085 121909 144
藁ではなく、萱だということだが四ヶ月ほどでここまで枯れるものなのか。

121909 153 121909 195
妙見宮の境内の外周を回り始めたところで途切れていた。
今年は金曜日だったが来年の8月7日は土曜日だ。
境内を一周する姿をなんとか実現してほしい。

帰るころ、見学者がぞろぞろやってきた。

威光寺(稲城市矢野口2411)
121909 254 121909 260
弁天洞窟と入洞料金を払う社務所が離れているのは、いずれ
明かりがないととても入っては行けないとわかったので納得。
しかし貸してくれる手燭では、暗視野の老化したわたしには
何も見えなかった。小型ライトは常備しているのですが、ファ
インダー越しの撮影には役不足のようです。

121909 304 121909 330
大蛇が二匹? 二頭?

穴澤天神社(矢野口3292)
121909 404 121909 435
境内は武蔵丘陵の崖面を開析したもののように見えます。
土俵があったのですが、これは獅子舞いの舞台らしい。
拝殿わきに稲荷神社があり、参道口の神明宮、山王宮の横に
辨天坂があって、三沢川に下っていくと御神水と辨天社があり
ました。御神水を求める人は切れ目なく続いていましたが、飲
んでみても印象には残りませんでした。

121909 453 121909 461
辨天社の洞窟はさほどの奥行きはなくライトも不要ですが、
水滴の落下が多くてけっこう濡れてしまいます。
からっぽの壁龕には昔は仏像が安置されていたらしいのですが、
威光寺の弁天洞窟に遷されたということです。 [稲城市妙見寺から穴澤天神社 2009年12月19日(土)]の続きを読む
  1. 2009/12/19(土) 19:09:23|
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御嶽神社の注連縄綯いは終わっていた 2009年12月15日(火)

御嶽神社(板橋区桜川1-4-6)
121509 032 121509 037
2009年11月18日(水)以来の再訪です。「東京都神社名鑑」情報で、
12月15日には注連縄綯いの行事があるということで寄ってみましたが、
すでに一の鳥居、二の鳥居、拝殿、天祖神社、稲荷社の注連縄が新しく
なっておりました。本当に板橋区で?と半信半疑だったのですが、日曜日
にでも行われたのかしら。業者に作らせたものとはとうてい思えません。
ある意味、ことほど然様に悪戦苦闘の偲ばれる注連縄に、深い感動を禁じ
得ません。〆の子の間隔も端末の処理も、あれもこれも、大変なことですよ。

121509 047 121509 009 

121509 018 121509 049
今年は幻の注連縄綯いとなってしまいましたが、また来年。
[御嶽神社の注連縄綯いは終わっていた 2009年12月15日(火)]の続きを読む
  1. 2009/12/16(水) 22:56:51|
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江の島つながりで江島杉山神社再訪 2009年12月12日(土)

まだ江の島の記事も書く前ながら、入れておかないと間に合わない。
12月17日追記。

江島杉山神社(墨田区千歳1-8-12)
121209 123 121209 064
江の島と深いつながりのある杉山検校を祀る神社。
江島神社はenoshimaですが、江島杉山神社はejimaと呼ぶのか未確認です。
富士塚に比べ、人造岩屋の数はどれだけあったのでしょうか、ここにも
岩屋塚があります。参道は岩屋みちで、洞内には杉山検校、宗像三姉妹、
宇賀神を祀っています。

短い間に三組のガイドツアーが来て、洞内大混雑になっていました。


即明庵由来
管鍼術之祖杉山和一師深く江之島辨財天を信し将軍綱吉之侍醫に備
り元禄六年当所に町屋敷二千七百坪を賜う乃ち社地九百八拾九坪に
辨財天社を建つ検校の没後直に門弟恩師之霊牌所として即明庵を社
側に建つ残余の千七百余坪即ち杉山屋敷なり後惣録役所鍼治稽古所
を此處に移す明治以後千歳町と呼稱す明治維新の際盲官廃止辨財天
社地以外没収され神佛分離の際之を江島神社と稱す明治七年七月村
社に列す明治廿三年当流同門の徒温知舎を興し明治四年廃絶せる杉
山検校の霊牌所即明庵を再興杉山神社と稱す明治卅五年五月杉山報
恩講を興し祭典法要を営むも関東大震火に遇ひ烏有に帰す大正十五
年九月十八日拝敞奥殿合計八坪五合の杉山神社再建す昭和五年九月
廿六日許可財団法人杉山検校遺徳顕彰会を設立杉山報恩講の事業の
継承をす昭和廿年戦禍の為盡く灰燼に帰するに依り関係者と謀り杉
山神社奉祀の検校の霊牌を本社に合祀昭和廿七年九月江島杉山神社
と改稱し再興なる昭和卅四年財団設立卅周年に当り彌勒寺所在墓碑
の移築新修並に当所検校の頌徳碑の復旧完成す昭和卅九年十一月安
永三年建設の岩屋破損に就き関係者と協力之が修復を終る此に於て
一應復旧するも唯即明庵(杉山神社)跡後世に所在の不明を懼れ此處に
石碑を建て明記し尚其の再建を期す者矣
       昭和四十年五月十八日建之
                財団法人杉山検校遺徳顕彰会

笠間出世稲荷大明神(明治座)
121209 182
日本橋浜町で昔の仲間の集まりがあったのですが、コシヒカリの全国的
流行がトウキョウダルマガエルとトノサマガエルの脅威となっていると
のこと。コシヒカリは根付きを固くするため、一度水田の水を抜く中抜き
の工程があって、繁殖期に平水面がなくなるため激減しているのだと。
  1. 2009/12/13(日) 00:32:34|
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築地市場 2009年12月11日(金)

大和寿司(中央区築地5-2-1 場内6号館)
121109 002
何を食べたのかはこちらで。

波除稲荷神社(築地6-20-37)
121109 192 121109 167

すし塚の由来
すし 日本の風土に育ち
日本の誰れもがこよなく愛し
自慢している食べ物それが
すし 永い永い伝統の中に
あるすし しかしその歴史の
蔭にいくたの魚介が身を
提してくれたであろうか
世人の味覚をたのしませそして
またわたし達のたつきの
基になってくれたさかなたち
それらあまた魚介の霊を
慰めとわに鎮まれかしと
祈り而して永遠の食物
としてのすしを表徴するため
こゝゆかりの地にすし塚を
建てたゆえんである
昭和四十七年十一月一日
東京都鮨商環境衛生同業組合

121109 147 121109 146
やっぱ、獅子頭でかいわ。

水神社(築地5-2-1 場内)
121109 197 121109 222

波除稲荷神社/於咲稲荷神社(佃1-8-4)
121109 258 121109 294

住吉神社(勝どき4-13-7)
121109 328 121109 306

  1. 2009/12/11(金) 14:07:15|
  2. 東京散歩
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江島神社・江ノ島 2009年12月10日(木)

とりあえず写真だけ先に。12月15日以下追記。

121009 017 121009 037
江の島は江戸の信仰圏ということで、東京散歩のカテゴリーに入れました。
最後に江の島へ入ったのはいつだったか、まったく思い出せませんが、
こんなに楽しいところだとは知りませんでした。

参道入り口の青銅の鳥居は延享4年(1747)創建、文政4年(1821)再建。
吉原の扇屋、大黒屋、松葉屋の発願によるもので、左柱に天下太平、右柱に
國土安全とかすかに読める。文字溶接ではなかったのだろう。
鋳物師 粉川市正藤原國信作。國正とどちらが先代だったのかな。

江島神社・辺津宮
121009 069 121009 194
茅の輪がしつらえてあったのですが、驚いたことにフルコンでした。
ところでフルコンとは一般に通用する言葉ではないと気づきましたの
で説明しておきます。伊勢丹用語でビニール紐を商品名からこう呼ん
でいるのです。ふだん耳にする機会が多いので、つい普通名詞として
使ってしまいました。で、今後も普通に使います。どうやら使う機会が
大幅に増えてきそうなので。
末社は八坂神社と稲荷社/秋葉社。

江島神社
当神社は三宮から成り奥津宮に多紀理毘売命中津宮に
市寸島比売命邊津宮に田寸津比売命をお祀りする
社伝の「江島縁起」等は欽明天皇十三年(552年)の創建と
伝える「吾妻鏡」には寿永元年(1,182年)源頼朝は祈願のため
文覚上人をしてお岩屋に弁財天を勧請
江島明神と称えて参詣し幕府の祈願所とした
以降朝武の信仰を集めたが江戸時代に至り庶民の間
に信仰が広がり江島詣が盛んとなり江島寺、金亀山
与願寺とも称し岩本院上之坊下之坊があった
徳川家康はお岩屋に詣で社領を寄進している
明治初年の神仏分離により江島神社と号した
 当社は江島弁財天として天下に名高く日本三大
弁財天の一つであり財宝招福学芸上達
夫婦和合 交通安全等の神として広く信仰され
ている 弁財天御尊像は邊津宮境内奉安殿に
お祀りしてある
 例祭日 四月初巳の日
     十月初亥の日

江島神社・中津宮
121009 244 121009 261
中津宮の注連縄もフルコンでした。中村座と市村座の燈篭などの見所も
ありますが、漱水盥の元禄三庚午天十一月六日(1690年)には驚きまし
た。元禄紀年は庚申塔でこそ珍しくないものの、ほかの石造物で見た記
憶はありません。小細工のない造形といい、江嶋上之宮の傾(かぶ)い
た書体といい、みごとなものです。

群猿奉賽像庚申塔
121009 343 121009 349
三十六体の神猿が四面を埋め尽くす。紀年はない。
むかし、下之宮(邊津宮)に山王社があったらしいので、
その奉納物と思われる。


江島神社・奥津宮
121009 393 121009 387

拝殿の注連縄は本物です。亀甲石は文化三年、弁秀堂何某により奉納
されたものらしい(『武江年表』)。亀甲紋は柱状節理の断面ですが、
この石は島内では産しないと思われます。
百味講の燈篭をいくつか見ましたが、

以前をいやあ江之島で年季勤めの児ケ淵江戸の百味講の蒔銭を、
当に小皿の一文子、百が二百と賽銭の、くすね銭せえだんだんに

弁天小僧菊之助の台詞そのままだァ!

[江島神社・江ノ島 2009年12月10日(木)]の続きを読む
  1. 2009/12/10(木) 21:04:02|
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世田谷区瀬田・岡本 2009年12月8日(火)

玉川大師 玉眞院(世田谷区瀬田4-13-3)
120809 005 120809 177
暗黒の地下霊場に惹かれてやってまいりました。撮影禁止とあるので
写真を載せることはできませんが、総延長100メートルという胎内めぐり、
信心のかけらもないわたくしでさえ、その構成力には圧倒されましたよ。
暗黒の壁にはめ込まれた金剛杵に触れるというイベントもなかなか。
圓満地蔵は壁龕の中だとばかり思い込んでいたんだがなあ。

今度は胎内地図を作らなくちゃ。しかし誘導灯なくていいのか。
地下の写真の代わりに大寺標の奉納者、サンリオ社長辻信太郎。

地下遍照金剛殿 玉川大師略縁起
玉川大師は高野山奥之院の清流「玉川」に縁み
此の地に開山龍海大和尚大正十四年大師堂建立
昭和三年より六年の歳月をかけ地下佛殿完成.
地下佛殿は御本尊弘法大師の大慈悲を具現する.
遍照金剛殿にして本堂より境内一円に及ぶ地下の
参道は巨大な大日如来の胎内、胎蔵界マンダラを
かたどっている.
特に奥之院には四國八十八ヶ所霊場及び西國三十
三ヶ所霊場を悉く請来され四國遍路と西國巡礼さ
ながらに順拝修行の結縁が授かる道場である.

石佛、大理石、御影石像
三百数尊体安置
内拝は九時より五時迄
 當山

瘡守稲荷神社(瀬田4-32)
120809 224 120809 223
瀬田玉川神社の境外社だという。案内板などはなし。

下山稲荷神社(瀬田4-21)
120809 247 120809 299
瀬田四丁目広場の東南角にある。横の階段を下りきった公園内に
庚申塔ニ基が見えるが、坂上の正門から入って行かなくてはなり
ません。ここには旧小阪家住宅があるのですが、耐震性の問題で
公開を中止しているそうです。お目当ては元禄2年の一猿庚申塔で、
かなり修復されていますがいい姿です。

岡本八幡神社(岡本2-21-2)
120809 314 120809 383 120809 384
国分寺崖線上に位置することが分かりやすい神社。参道階段を降ると
岡本民家園と丸子川。鳥居の後ろの御神燈はユーミン夫妻の奉納でした。
境内社は天満宮とあとは石祠で大神宮、稲荷社、浅間大社、不明の4基。

瀬田玉川神社(瀬田4-11-31)
120809 443 120809 515
坂の途中の参道階段を登ったらもうひとつ階段があり、境内の拝殿は
さらに高い位置。一の鳥居の注連縄はフルコンであった。
境内社は渡り廊下の下をくぐった先にあり、稲荷があるので稲荷神社
だとは思うが、社額には人一君(一字)御魂社とあり。

120809 555 
瀬田4-21の駐車場の塀の土台に埋め込まれた如意輪観音像など。
中途半端に整備されているところがなんともシュール。

代田八幡神社(代田3-57-1)
120809 566 120809 621
環七ぞいでいつも通り過ぎるだけだったのですが、思いのほか広い
境内に、ささやかな神明造りの本殿がなんともゆかしく見えました。
境内の造営物一切は戦災で焼失し、本殿は昭和23年に建設されたものです。
境内社は御嶽社のみ、大樹に渡した注連縄がフルコンだったのは残念。
  1. 2009/12/08(火) 20:57:22|
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三宝寺池 練馬区石神井台 2009年12月6日(日)

石神井 氷川神社(練馬区石神井台1-18-24)
120609 007 120609 097
拝殿右の御神燈の台石には、
大正十二年九月一日関東大震災ノ際倒潰セシヲ右寄附者ニ於テ
今年十月九日修理再建シタルモノナリ記念ノ為茲ニ之ヲ録ス

とありました。東京西部で震災被害があった話は珍しいですよ。
練馬区では大震災横死者吊魂碑(未見)が一基あるのみだそうです。

120609 087 120609 027

厳島神社と宇賀神社(石神井台1-26)
120609 113 120609 108
三宝寺池に降りて、厳島神社の南に面して宇賀神社があった。
穴弁天の名の通り、なかは洞窟のようだ。

水神社(石神井台1-26)
120609 135 

稲荷諏訪合神社(石神井町5-23)
120609 180 120609 167
こちらは石神井池南の高台にある。東京オリンピック記念の
玉垣工事碑があった。境内社は根ヶ原諏訪社(東京都神社名鑑)。
[三宝寺池 練馬区石神井台 2009年12月6日(日)]の続きを読む
  1. 2009/12/06(日) 20:39:13|
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杉並区天沼・名残りの弁才天 2009年12月4日(金)

天沼稲荷神社(杉並区本天沼2-14-10)
120409 030 120409 084
社額には稲荷神社の左右に厳島神社と猿田彦神社が並んでいる。
案内板には境外末社があると書かれています。

天沼稲荷神社
 当社は旧天沼村字本村の鎮守です。祭神は保食神で、境外末社として猿田彦神社(猿田彦命)、市杵嶋神社(市杵嶋比売命)三峰神社(伊弉諾命・伊弉册命)を祀っています。創建年代は当社の別当職をつとめていた蓮華寺の過去帳に「慶長19年(1614)、板倉周防守より本社境内を除地とする}と記録されていることから、それ以前とも考えられますが、詳しいことは明らかでありません。しかし、社伝は稲荷信仰が村内に広まったのは、寛永12年(1635)に当地が赤坂山王社領となってからと、伝えています。また、江戸時代の当社について『新編武蔵風土記稿』には「除地百五十坪、小名本村にあり、此所の鎮守なり、本社三尺四方、上覆二間と三間」と記されています。現在の本殿は明治初年に前記の山王社の内殿を譲りうけて移築したもので、その後何度か修改築されましたが、当時の様式を今も残しています。なお、文化財としては、内殿移築と同じ頃に山王社から奉納された山王祭を画いた畳2畳ほどの大絵馬、弘化5年(1848)2月奉納大幟、文政6年(1823)4月銘の手洗盤などが所蔵されています。
 昭和59年3月 (転載元


板絵着色 祭礼図 一面
本大絵馬は、明治初年旧天沼村の氏子中が奉納したもので、桧板三板を横矧にし、飾金具を配した漆塗りの額で装飾されています。横長の画面には幟を立てた社殿、赤丸に「天」と染め抜いた半天を着た人々、裃姿の武士、そして山車上の囃子方など、祭礼の情景が生き生きと描かれています。作者の「陸斎」はどのような人物であったか不詳です。画面の「玉村作」は裏面の墨書から額師と考えられています。祭礼の情景を描いた区内唯一の絵馬で、また絵師、額師名も記された貴重なものです。

猿田彦神社(本天沼2-26-3)
120409 101 120409 126
「杉並の小祠」によると、明細帳の記録では明治40年に天沼稲荷神社へ合併したという。
神域は垣内だが、境内地はかなりの広さ。ここが飛び地境外社でした。
ところで、ケヤキじゃなかったかな、かなり根が板根化していました。

三峯神社と厳島神社(本天沼2-5-15)
120409 155 120409 152
路地の分れ目の、楔状にしては広い土地に鳥居口がふたつ、敷石のさきにぽつんと
小祠があるだけの空間。
手前が三峯神社ですが、「杉並村社寺明細帳」(明治18年)の厳島神社境内図にも
記載がないそうです(「杉並の小祠」)。この厳島神社も明治40年に天沼稲荷神社
に合併されています。三峯神社も共に境外社として天沼稲荷神社の案内板に記載さ
れていました。

天沼山蓮華寺の弁才天堂(本天沼2-17)
120409 172 120409 168
あるかもなと思って立ち寄ったらありました、弁才天堂。
いやしかし大弁才天女王という表記は初耳でした。

蓮華寺
天沼山蓮花寺は、真言宗室生寺派に属する寺で、開山は真長和尚と伝えられます。本尊は如意輪観世音菩薩(如意輪蓮華峰王)です。当寺開創の詳細は明らかではありませんが、墓石には正長元年(1428)の戒名があり、また慶長19年(1614)板倉周防守から寺地の寄進されたという記録もあり、開創は室町時代と伝えられています。寺伝によれば天和2年(1682)に寂した中興開山鏡薫和尚の時代に、寺門は大いに興隆したといわれています。昭和37年に建立された本堂には不動明王坐像と昭和19年出羽湯殿山から請来した不動明王の立像も安置されています。この不動尊は室町時代に作られたもので、「厄除不動」の名で呼ばれて厚く信仰されています。当寺には文化財も多く、天沼村関係古文書が所蔵されているほか、阿弥陀・馬頭観音石像・宝筐印塔等が境内に安置されています。なお、旧本堂は杉並第五小学校の前身である桃園尋常高等小学校の分教場に使用され、多くの人々に親しまれました。堂前にその記念の石碑があります。
   昭和55年2月20日 (転載元

[杉並区天沼・名残りの弁才天 2009年12月4日(金)]の続きを読む
  1. 2009/12/04(金) 22:31:32|
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和光市新倉と下新倉 2009年12月1日(火)

菅原神社(板橋区成増5-3-23)
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きのう気づかなかった水盤の亀のために、再度立ち寄りました。
しかも二匹いるではないですか。写真を撮っていると、何も見て
いないことがあります。それにしてもひどいもんだ。

以下の写真はのちほど。

福田山東明禅寺吹上観音(和光市白子3-14-13)
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本堂の右奥に鳥居が見えます。その前面に古墳盛りがあって、
一部崩れています。

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階段を登ると八幡神社があって、百庚申の道に通じます。

下新倉氷川八幡神社(下新倉3-13-33)
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拝殿横には立派な稲荷神社/琴平神社の合殿がありますが、
富士塚は裏参道のバックヤードにいました。

狭間稲荷神社(新倉3-)
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午王山への坂の途中にあります。

新倉氷川八幡神社(新倉2-18-60)
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冨士嶽淺間大神
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御嶽神社
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境内には冨士嶽淺間大神と稲荷社および天神宮が目に入りますが、
本殿の背後に神明神社と元宮神社があり、さらに背後の森に御嶽神社。
西日で紅葉がまぶしくて、去りがたくもあり、帰らねばならず。
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