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両国駅から浅草橋駅まで 2008年12月29日(月)

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両国国技館の神社2社は休館中は立ち寄れない場所であった。


榮稲荷/米山稲荷(墨田区両国1-15-9)
122908 003 122908 011
偶然見つけた。

122908 008 122908 017
ボク石の台座をブロックで覆ったのだろうか。 


伏見 小林稲荷神社(両国1-6-10)
122908 031 122908 030


江島杉山神社(墨田区千歳1-8-2)
122908 044 122908 049
扁額の書は鈴木俊一。

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杉山検校の点字の碑。全国の盲人から信仰されている神社なのだな。

122908 055 122908 166

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本社殿と杉多稲荷神社。

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岩屋があって、奥には杉山検校像。

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右に宗像三姉妹像を祀り。

122908 090 122908 116
左奥には宇賀御魂神を弁財天として祀る。

122908 087 122908 129


公開空地の神社(千歳2-5 千登世工業角地)
122908 175 122908 187


122908 185
明治神宮、天照大神、江島杉山神社のお札を祀っていた。


初音森神社(千歳2-4)
122908 193 122908 196
人家の駐車場と融合したようなしないような空間。

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標柱には寶録稲荷神社とあるし。

122908 213 122908 207 122908 244
塀ぎわのぼろぼろの祠が富福稲荷神社だったのか?

真言宗弥勒寺
122908 266
                          
122908 249 122908 246
この観音像は東京大空襲で亡くなった3500柱の遺骨の慰霊のため建立された。

122908 251 122908 253
杉山検校のお墓はこちらにあった。


大久保稲荷神社(江東区森下2-31)
122908 270 122908 275


122908 280 122908 277
お稲荷さんの姿がどこにもない。よく見たら一対だけはありました。


深川神明宮(森下1-3-17)
122908 285 122908 291


122908 312 122908 316
寿老人社。

122908 300 122908 302
和合稲荷神社。

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11社の合祀というのは記録的かも知れない。


八名川稲荷(江東区新大橋3-1-4)122908 329 122908 354

122908 345 122908 346
[両国駅から浅草橋駅まで 2008年12月29日(月)]の続きを読む
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  1. 2008/12/30(火) 17:47:14|
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錦糸町駅から清澄白河駅まで 2008年12月27日(土)

江東観世音(墨田区江東橋3-6-5)
122708 001 122708 057
錦糸町駅南口、WINSとパチンコ屋の間を抜けると江東観世音。
地図にも出ていなかったので想定外でした。燈籠は紀元2600年です。

五徳山江東寺 江東観世音
本山 天台宗 比叡山延暦寺
創建 昭和十五年阪東十六番水沢観世音別院として
   建立されました。
御本尊 千住観世音菩薩
御利生 千住観世音は昔より融通観音とも云われ,広
    く親しまれ信仰されており、己を忘れ他を利
する大慈悲心の御利生は一所一人たりとも遍く
及ぶのであります。
御縁日 毎月十七日(以下略)



122708 008 122708 014
狭い境内には出世弁財天と、

122708 024 122708 027
清昌稲荷大神が。

清昌稲荷大神
本社は京都伏見稲荷大社にして、稲荷山
三ノ峰に御塚が奉安されています。
昔より稲荷信仰は五穀豊穣・商売繁盛の神と
して崇敬され、殊に当大神は真心を持って祈
念いたせば、その御加護は甚大で御神徳は誠
にあらたかであります。
祭礼 毎月四日(大祭十月四日) 合掌



田螺稲荷神社(墨田区江東橋3-3)
122708 064 122708 066

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摩利支天尊日ノ先神社/永喜稲荷(江東区猿江1-22)
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猿江稲荷神社(江東区猿江2-5-14)
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猿江稲荷神社略縁起
法華宗(本門流)本覺山妙壽寺が、寛文元年
(一六六一年)より別当寺院を務める猿江稲
荷社は、「御府内備考」続編によりますと、
その鎮守稲荷の御神体は「猿藤太木像」であ
ります。
さらに縁起について、
武州葛飾郡猿江村稲荷大明神略縁起抑
稲荷大明神ト奉申ハ本地久遠成道ノ釈
迦仏也
と記され、本地久遠成道の釈迦仏とは法華経
に説かれた教主釈尊で 法華の題目によって
祀られた稲荷社であったことがわかり、現在
も氏子妙壽会をはじめ遠近のご信者の篤い信
仰を集めております。
法華宗本覺山 妙壽寺(現在 世田谷区北烏山)


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猿江神社(江東区猿江2-2-17)
122708 124 122708 170 

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馬頭観音社
馬頭観音とは密教系の信仰である六観音のうち、ヒ
ンズー教の神、毘紐拏(びしゅぬ)が馬に化身して、
魔物に奪われた聖典を取り戻したという説話が
起源とされる。馬が周囲の草を食べ尽くすように、
一切の煩悩を打伏すといわれ、日本では奈良時代
以降に信仰され、身近な動物への無病息災の民間
信仰と共に江戸時代には旅の道中の安全、家畜の
守り神として広く流布されるようになった。
当社は創立不詳にて、長期境内に埋没していたが、
昭和六十年、「氏神と共に境内の馬頭観音を崇拝
せよ」との告言により再び御姿を現わされ、人々
の厚い信仰を享けている。
形容は馬頭観音の刻印の上に馬の絵が彫られ、馬
方の絵の石と併せた、大小一対の珍しい石碑で、
研究者より注目されている。
心願成就、旅行・交通安全のご利益もあるとされ、
馬に関わることから競走馬関係者の参拝も多い。
又、近年前途の由来より
ペットの無病息災祈願も
増えている



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猿江神社由来記
伝承として、昔、康平年間(西暦一,〇五八年―一,〇六五年)源頼義が奥州
征伐(後三年の役)の頃、この附近の入江に勇々しき戦武士の屍が
ただよい着き、不思議にも、其の屍より、毎夜光明を発し村人
この屍を叮重に葬る、
武士の鎧に源頼義の臣「猿藤太」と記しあり、又、懐中より
有難き経文一巻がいでたり、よって村人「猿藤太」の頭文字と
入江の「江」をとりて、猿江稲荷と尊稱し、近郷近在の守護神
となし、村落の敬神の地として仰ぎ奉り、豊作祈願、病気
平癒、悪病退散、等の、この地の氏神社として祭り、又それより
地名をも猿江村と稱えはじめ現在に至れり
正に猿江の地名これより発祥せり
尚、当時、この村落の氏神社である猿江稲荷神社は、古来より
「天照大御神」「宇迦之御魂神」とを御祭神としてゐたが武人
猿藤太の御霊をも合せ加え、代々お祀り申し上げて参りました
江戸時代は猿江稲荷神社と稱し隣接せる、日蓮宗寺院
本覚山妙寿寺の住職が代々、守護管理を司どていたが明治
以後、近年になり、神保宮司を祭官として招き、合せて村、町、
の発展と共に町内氏子の者達が、神社の護持運営にあたり
現在に引き継がれた次第であります、
お恵み(ご利益)としては、家内安全、病気平癒、商売繁盛
心願成就として霊験あらたかなり、
昭和六十一年丙寅八月吉日
文筆者 堀江侯雄


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藤森稲荷神社縁起
○ ○不詳ながら、江戸時代初期には本所(墨田区)横網町の
江戸幕府御用材 木蔵にしでに祀られていた、
享保十九年(一七三四)御用材 木蔵と共に猿江の地(現在の
猿江恩賜公園)に遷座された、明治以降は宮内省所管
となり、この頃から猿江神社の宮司家より祭祀奉仕
がなされている、
亦、社殿が藤の木で囲まれ、毎年花の咲く季期に祭礼が
行われていた事から、何時しか藤乃木魂を祀る、藤森神社と
称され、四百年余に亘り木材作業に従事する人々の厚い
信仰を享けてきた、
昭和五十二年春、東京都の都市計画による猿江貯木場の
移転に伴い現潮見駅前に遷座されるが平成十三年十二月
崇敬なる旧東京官材協同組合会長氏橋幸次郎氏及び
東京広葉樹連合会々長長谷川健治氏他関係諸氏の
総意尽力で再び縁深きこの猿江の地に戻り、猿江神社の
境内に安宮鎮座される、
江戸時代より木材の守護神として商売繁盛、工事作業
安全のご利益があるとされている、
尚、石燈篭一対(弘化五年・一八五八)・石水盤(貞享三年・
一六八六)は、区の有形文化財である、
宮司 神保恵一 謹書


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  1. 2008/12/27(土) 22:44:33|
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錦糸町駅から両国駅まで 2008年12月22日(月)

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錦糸町駅下車。錦糸公園の西南角にある千種稲荷神社。

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これは、蟇股だが構造材なのか嵌め込みなのかわかりませんでした。
裏面に、昭和三十五年四月吉日 鵜澤光行 とあります。
これはいい仕事してるなあと、感心しきり。

122208 060 122208 080
この社のお狐さまは縞の入ったものが多かった。
手水舎のミニ狐もいい味出してます。

千種稲荷社 社史
抑々コノ土地ハ徳川幕府時代某大名居ヲ
構へ後方二安置アリシ古洞ハ千種稲荷 ソ
ノ大名ノ御守護神タリシモノナリト言フ
明治年代二至リ土地ハ陸軍糧秣本廠干草
置場トナリ、本廠土地御守護神にシテ奉安
致シタルモノナリ、昭和三年元神田区ヨリ
菓子製造業者移転シ来リテ、公園内二奉安
セル千種稲荷ヲ有志共二相計リ講ヲ作リ
昭和七年二月初午吉日二土台石積工事ヲ
完了奉安シ、現在二至ルモノナリ
昭和卅年五月吉日 千種稲荷神社ト改名セリ
昭和卅五年二月初午 千種講
         l講元 眞宗末一
         世話人一同


某大名って何だよ。

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錦糸町駅北口に不気味なモニュメント。これはあんまりだろう。

JR錦糸町北口モニュメント
経緯:墨田区は、1987年「音楽都市」をめざして街づくりをすることを宣言し、錦糸町駅北口再開発事業で交通広場の吸気・排気塔の利用によるモニュメント計画を策定し、音楽都市すみだを象徴する作品をテーマに、専門業者5社のコンペで選ばれた作品が設置されることになった。
名称:ECHO
曲玉の部分は、楽譜のへ音記号をモチーフにデザインし、左右5本ずつのワイヤーは五線譜を表している。
設置年:1997年9月
作者:ローレン・マドソン(米国)

墨田区ウェブサイト

蛆虫の共食いにしか見えん。

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津軽稲荷神社(錦糸1-6-12)。奉納石燈を見たら東叡山と刻まれている。
寛永寺と子院周辺には今でも廃棄された石燈の残骸が見られるが、こう
した再利用にははじめてお目にかかりました。

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昭和三十三年の奉納です。

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弁財天社もありました。

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                        野見宿禰神社(墨田区亀沢2-8)。

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勝海舟揺籃之地(墨田区緑4-21-2 坂田建設株式会社正面玄関)。

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五柱稲荷神社(墨田区緑4-11)。天水桶の年代は明治二十二年六月 田中七エ門。

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奉納額はともに昭和二十九年九月吉日。

122208 236 122208 237
この御石様には御廣○と刻まれているが。

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ここにもお狐さまの蟇股が。
菊川小学校の敷地に二宮尊徳像が見えて、隣の菊川公園に入ったら、

122208 253 122208 258
校庭と公園が一体となっていた。夜はネットで仕切るのだろうか?
学校の先生にお断りして尊徳像を正面から撮影してすぐ退散。

122208 262 122208 263
公園の西南隅にある榎稲荷神社(墨田区立川4-12)。

榎稲荷神社由緒書
当社鎮座ノ年月ハ不詳ナレドモ傍ラ二菊川ト云フ川アリ 元禄九年二此ノ川ノ名ヲ取リ町名トセシニ ソレ以前 天和癸亥三年二月二当社ヲ堤ノ内二建立セシト伝フ ソノ川ノ畔二遊女ノ宿アマタ散在シテ行人ノ足ヲ留メ多クノ人ドヨメキ集ヒテ詣デタリシト云フ 土手ノ内二アリシ故土手稲荷ト尊称ス 小祠ナリシガ宝暦年中二中風流行シタリシニ土人当社二ソノ病ノ平癒ヲ祈願シ欝蒼ト茂ル榎ノ皮ヲ取リ帰ル二不思議トソノ効著ルシク近在ノ諸人踵ヲ接シテ祈願ヲコメリト云フ 祈願ノ遂ゲラレシ人多カリシ故ソノ諸人講中ヲ作リ己ガ浄財ヲ出シテ又 人ヲ誘ヒテ義損ヲトトノヘ造営セシ二崇厳ナル社殿完成シタリ ソノ後如何ナル故二カ現在ノ地二移居シタリ旧幕時代ニハ大久保紀伊守ノ邸内社トナシガ一農家ノ之ヲ守護シタリシガ不始末二カ立退ク事トナリ長ク秘蔵セシト伝フ宝剣一振ヲ附近ノ人二託シ何方ヘカ退居セリ ソレ以来ハ町内一同二テ修理ヲ加へ礼賛シタリト云フ 天保六年ニハ町内の名ヲ以テ石鳥居ヲ献シ更二安政七年ニハ漱水盤ヲ献納シ国家ノ安寧ヲ願ヒシモ忽ち改元アリテ万延ノ世ト改マリヌ 当時ハ社畔二幸衞門ガ店二鳩居セシ氷川大乗院配下本山修験吉祥院トイヘルモノ町民二カワリテ大切二守護ス然シテ又何時ノ頃ヨリカ境内二多数林立セシ榎ノ欝蒼タルヲ見テ誰謂フトナク榎稲荷大明神トタタへ奉リソレヨリハ榎稲荷神社ト唱へ祈願二参ル人跡絶ユル事ナシ (文献二依ル) 明治十一年十一月二日本所区菊川一丁目ト称シ大正十二年九月一日ノ関東大震災ニテ焼失ソノ後区画整理ニテ現在地二移転シ昭和七年町名変更ニテ竪川四丁目ト成ル 昭和二十年三月十日第二次世界大戦ノ際東京空襲ニテ再度焼失シタル二当町在住ノ石黒善次氏復旧シ奉安申シ上ゲテ居リ昭和二十八年玉垣ヲ当時町会長立松慶助氏発起ニテ建設致シ昭和四十年五月町内有志相計リ戦災二十周年ヲ記念二鉄筋コンクリート造リノ社殿二復興申シ上ゲ今日二至ル  昭和四十年五月 内田雙硯謹書



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境内を撮影中、小学生の女の子二人に職質を受けた。
「なにしてるの?」 「神社の写真を撮っているんだよ」
「どうして」 「東京の神社を全部調べようとしてるの」
「ふーん、通学路の途中にも神社あるよ」
「川のそば?これから行くんだ、ありがとね」

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元徳稲荷神社(墨田区立川3-18-2)。散歩はここまで、両国駅から帰還。
  1. 2008/12/23(火) 13:29:41|
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王子駅から田端駅 2008年12月21日(日)

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大晦日の王子狐の行列の下見でバス停王子2丁目下車。
装束稲荷神社は幟を立てたり電球を交換したり準備中。

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作業中のお二人との話が長引いてしまいました。ほとんど聞き役でしたが。
広重の「王子装束ゑの木大晦日の狐火」には榎の背後に松が描かれていること。
狩野尚信の元絵は松だったということで、はじめは装束松だったということはわかり
ました。ホームページに書いてあるので見てくださいと言われたのがこれ。
王子の狐物語(狐行列) 正しい王子の歴史のために

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王子稲荷神社までの行列コースを歩いていくと、北とぴあの広場にこんなものが。
作者の北村西望は北区の名誉区民なんだそうな。
王子稲荷神社は幼稚園を併設しており、平日は表参道が閉鎖されている。

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階段上にもゲートがあるので、平日はこのお狐さまにも近寄れない。

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階段わきの市杵島神社。

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永代常夜燈の格狭間に狐の家族。これも松なんだな。

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柿葺きがかなり痛んでいるが、どこまで覆屋でしのげるか。
拝殿の扁額はただ稲荷社とのみ書かれている。

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12月24日追加。

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本殿には参拝者がいなければ上がることができる。
おお、永平寺以来の格子絵だ。
天井画「鳳凰」東京砂糖王子稲荷奉賛会 関口正男画伯
昭和六十二年四月十三日 御社殿塗装大修繕記念
寄進者名には砂糖業界のほとんどの社名が連なっている。

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奥にお穴跡があるというので、まずは本宮とあるお堂。

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12月24日追加。 
鵬斎 亀田興(1752-1826)の書。この書体は、らしくない。

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三社殿には左から亀山稲荷、嬉野森稲荷、北村稲荷が鎮座。
装束稲荷で聞いたところでは、いま中央工学校の敷地である
亀山(古墳だった)の稲荷を遷座して装束稲荷と改名したとか。

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御石様。稲荷社のようでもあるが。

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階段の上に一坪ほどの床があり、お穴と石祠。

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                      いなり坂。平日はこちらから参詣します。

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王子神社に向かうところ、音無親水公園わきで祠を発見。
北区岸町1-1。

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参道の名残りなのか、燈籠の格狭間にお狐さま。

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階段を登ると都天然記念物「王子神社のイチョウ」が聳え立つ。
王子神社の常夜燈は紀元二千六百年記念です。

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境内社の関神社と毛塚の玉垣は床山組合とかつら屋さんの奉納になる。

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                       王子神社の本殿。

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音無親水公園を渡り、王子駅のガードをくぐって線路沿いに歩く。

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上中里庚申堂(上中里2-25-4)。

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東田端2丁目の鉄道神社を目当てに来たのだが、操車場のなか、
厳重に柵囲いしてあって、まるでグアンタナモ収容所みたいなところだった。
日曜日だからJR東日本のゲートの守衛もいないし、今回はあきらめた。
最後は東灌森神社。

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子安観世音があったのでお参りしました。
田端駅へ向かう陸橋に上がったところのメッツ田端でコーヒー飲んで帰還。
  1. 2008/12/22(月) 21:49:29|
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中央区小社めぐり 2008年12月11日(木)

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東京駅から外堀通りを越え、さくら通りに入ると目に入ったのが
豊川稲荷(八重洲1-5)。これは予定外でした。


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日本橋高島屋の屋上には何かあるだろうと思って。ひどい逆光だがこれは・・・

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七福神の七角堂だった。

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フロア案内にも出ていないし、何の表示もありません。


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大原稲荷神社(日本橋兜町11-3)。中央署向かい。社殿はなんとも味気ないが、

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榮太楼総代の奉納社額や背後に隠れた狐塚など見所あり。

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山一證券・・・  昭和四十九年奉納。


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坂本町公園の巻貝すべり台。でも使用禁止。
阪本小学校玄関のブロンズ“少女”。

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鳥居稲荷神社(日本橋兜町20-2)。

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天祖神社(八丁堀3-6-6)。伊雑宮分社。

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御鎮座三百五十年の喜辰に當り御神徳の灼然なるを悦び畏み奉り大神様の
大神恵に對し畏敬の念を捧げて奉祝の御祭儀を盛大に執行し御鎮座の経緯を
記して子々孫々に傳ふ
    昭和五十八年十一月吉日  八丁堀三丁目西町会

伊雑大神宮御縁起

  御祭神 伊佐波登美命
       玉柱屋姫命

志摩国答志郡伊雑村二鎮座セル天照大神宮ノ別宮ヲ伊勢長官出口市正ト云者
近衛公ノ御内命ヲ蒙リ寛永元甲子年五月上旬東へ下リ寺社奉行ヘ願出
武蔵国豊島郡江戸日本橋通三丁目ヘ間口拾間奥行拾弐間社地ヲ賜リ間口
三間奥行五間ノ御社建立シテ御祀リ申上候其後寛永拾癸酉年六月下旬
公儀ヨリ社地御入用ノ趣キ寺社奉行ヨリ被仰渡八丁堀松屋町ヲ代地トシテ
社地参百坪賜リ舊社ヲ取崩シ松屋町ヘ再建シテ御遷宮申上候
氏子ハ松屋町岡崎町長澤町元島町仲町ノ五ヶ町トス
右御縁起如此御座候恐惶謹言
 宝暦元辛未年二月吉日       名主 長澤次郎太郎




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今村幸稲荷神社(八丁堀3-24-11)。
神田小川町の幸徳稲荷と同じく、踊り場神社方式。 

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日比谷稲荷(八丁堀3-28-15)。宗教法人格を取得していることを公示しています。

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日比谷稲荷神社 御由緒

 日比谷は、元々江戸海岸の入江であって、ヒビを立てて海苔を採っていたの
で「ヒビ谷」と称しました。長禄元年に、太田道灌が江戸城を築いた時、天地
の恵みに感謝して、生命の根である稲荷神を祭るため、城外日比谷の海岸(現
在の日比谷公園の土地)に、御社殿を建てたのが、此の日比谷稲荷神社の始ま
りであります。
 天正十八年より慶長七年に至る十三年間は、徳川家康が、江戸城の主として、
関東太守でありましたが、慶長八年二月十二日、天皇より征夷大将軍に任ぜら
れると、江戸城は、一耀天下の主城としての大拡張工事を始めることになりま
した。
 慶長十一年に、日比谷稲荷神社の所に、江戸城日比谷御門が建設されること
になった為に、代替地を芝口に賜わって移転したのが、現在の新橋四丁目十三
谷神社であります。
 然し、どうしても海岸に祀られないと困る崇敬者の人々は、日比谷稲荷大神
を戴いて、八丁堀先の干潟を埋築し、そこに御社殿を造営し 御神霊を御遷
座申上げたのが、当神社、日比谷稲荷神社であります。
日比谷稲荷神社は、此の新しい土地の地主神として、丁寧に祭祀されていた
ので、此の一角は、永い間に亙って、日比谷町と公称されていました。
 東京都公文書館所蔵の、「明治十二年神社明細帳」には、   無格社日比谷
稲荷神社は、明治六年一月七日の日付で、所在地は、武蔵国豊島郡京橋区日比
谷町一番地河岸地境内二十五坪三合除地          となっています。
 大正十二年九月一日の大震災後の区劃整理で、日比谷町は、隣接の幸町、長
沢町等と合併の上。八丁堀三丁目と呼ばれました。また、大東亜戦争終戦後は、
住居表示改正で、西八丁堀三丁目と合併した。今日の八丁堀三丁目の一部とな
りました。然し、旧日比谷町に当る一区劃の地主の神は、変ることなく、今も
昔も、此の日比谷稲荷神社であります。
 往古、日比谷の海岸に在った頃、旅人御守護に霊験が篤かったので、江戸へ
来た人々が、多く当日日比谷稲荷神社に泊って、お詣りしたので、これを「旅泊
稲荷」とも唱え、「さばいなり」と読んでいました。
 後に、虫歯に苦しむ人は、鯖絶ちをして、日比谷稲荷神社に祈って、よく助
かったというので、鯖を供えてお礼詣りする人が頗る多くなりました。そこで、
此の意味からも「さばいなり」と通称され、鯖の絵馬、扁額が社殿に多く掲げ
られるようになりました。
 然し、最初の御鎮座の時の精神が、天の光、地の恵みに対する感謝の誠心を
あらわすことにありましたように、今でも、旧日比谷町に住み且つ事業を
営む人達が、御守護を受けている地主神としての日比谷稲荷神社を拝んで、天
地の御恵みに感謝し、家庭では、各自の親先祖を大切にして、暴飲暴食を戒め
てゆけば、必ず必ず、天地の御守護に感激さる。開運の人となることが出来る
のであります。
平成十八年十二月吉日 宗教法人七〇〇二 日比谷稲荷神社

*「耀」の字と文字間の空きは原記載のママ。


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純子稲荷神社(日本橋茅場町3-13-6)。純子大神。

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玉垣に田中貴金属工業株式会社があった。

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新亀島橋のたもとに戦災遭難死者慰霊碑と大震火災遭難者追悼碑が並ぶ。


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室町砂場であられそばを食す。(゚д゚)ウマー

ぜん(日本橋小伝馬町13-1)という店は木造三階建てをそのまま
使っているのだろうか。いや三階まで客室がある、消防の許可は
おりなかろう。ビルにそれらしくサイディングしてあるのでしょう。.
もっと近くで観察すればよかった。

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池洲神社(日本橋堀留町2-4-10)。

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富澤稲荷神社(日本橋富沢町7-18)。摂社に初姫稲荷神社。

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末廣神社(日本橋人形町2-25-20)。

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末廣神社の向かいK&Yビルのこれはなんというか、石子詰めモニュメント?
人形町喜寿司。垚寿司と書くべきだな。昔行ったときはなんと立派な門構え
だろうと思っていたが、記憶にまさる美化はなしときたもんだ。

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日本橋三越新館。日本橋の向こう国分ビルにかがり火のともるテラスがあって、
ニホンバシイチノイチノイチという町名そのままの日本食ダイニングでした。
あ、ゼットン系列か。あんまり味とかうるさいことを言わなければいい場所だろうな。
テラスの手すりがなんとも残念だ。

  1. 2008/12/11(木) 22:20:06|
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足立区水戸街道から竹の塚 2008年12月7日(日)

足立区はちょっと地図をあたっただけでも90社ほどの神社が出てきて、
とても一筋縄では行かないなと思ったら本当にそうだった。
まずは水戸街道から歩いてみることにして、東武伊勢崎線を谷塚で下車しました。

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富士浅間神社(草加市瀬崎町501)。町内会総出で境内清掃中。


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几号水準点マニアもいるようですが、実見したのは初めてです。

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椚(くぬぎ)稲荷大明神。境内末社。

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神社うしろの広場の隅にある三神合祀の社。地元の方にお聞きしたところ、
ほそがみさま(細神様)と呼び慣わして来ているそうだ。鳥居はかなり埋まって
おり、手水盤ももとはほとんど埋没していたそうだ。

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天明七丁未(1787年)六月の奉納だ。

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小御嶽神社。ここも境内末社のようだ。富士塚を祀っているが立ち入りはできない。


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水戸街道を南下し、水神橋(毛長川)を越えると足立区に。


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水神宮(西保木間4-14-1左)。


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笠間稲荷(保木間5-)。地図にあった稲荷神社(花畑5-37)がどうしても見当たらず、
個人宅の内祭り社と遭遇したので家人の了解をいただいて撮影。


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水戸街道沿いに予定外の稲荷神社を発見(西保木間2-13-20左)。
名前を聞けそうな場所がない。


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広いお庭に立派な鳥居があったので、また了解を得て撮影させていただく。
千歳稲荷というそうだ。西保木間とだけ言っておきます。

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氷川神社を探しに水戸街道から路地に入ったら、じんがんなわ祭りの
大乗院への参道に行き当たったので一応寄ってみる。

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12月9日写真とキャプション追加
大乗院わきに小さな水田があったが、木の歩道に気をとられていた。
じんがんなわ祭りの稲藁のための水田だったのか。
参考:じんがんなわ祭り

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さらに氷川神社をめざしていると、また変なところに名称不明の
社(西保木間1-12-21裏手)。

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[足立区水戸街道から竹の塚 2008年12月7日(日)]の続きを読む
  1. 2008/12/07(日) 22:04:38|
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江東区枝川・木場・牡丹・永代・佐賀 2008年12月2日(火)

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有楽町線豊洲駅から江東区枝川1-10の富士稲荷を探しに行ったのですが、
これは枝川1-9-6住友不動産豊洲ビル公開空地の名称不明の神社のようです。
富士倉庫運輸の神社だったはず。すっかり錯覚してしまいました。

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住吉神社(江東区牡丹3-12-2)。

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境内社の車折神社。

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力石の数々。

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洲崎神社(木場6-13)。神紋は波に三ツ鱗。

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竿忠は有名らしい。

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豊川稲荷。

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於六稲荷。

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弁天社。

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新田橋で大横川を越え、繁榮稲荷神社へ。

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嘉永七年二月といえば、ペリーが再度神奈川に来航し、
日米和親条約の交渉中だな。

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黒船稲荷(江東区牡丹1-12-9)。

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於三稲荷。古木弁財天(江東区牡丹1-6-5)。
神社には違いなかろうが限りなく個人宅。天水桶もあるし。

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水琴窟があって、とてもいい音がする。

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ここでのお百度参りはとても楽だと思う。
赤い扉のお堂が古木弁財天、隣が於三稲荷。

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壺中天のような境内というか庭。気に入った。祭礼は5月11日か。
 

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越中島橋畔の震災供養塔。東京大空襲慰霊碑(江東区永代2-19)。

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福寿稲荷・船玉稲荷(江東区永代1-9-8)。

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伏見稲荷(江東区永代1-10-14)。

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王子稲荷(江東区永代1-10-11)。伏見稲荷の前の家のおばさまに教えてもらった。

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紀文稲荷神社(江東区佐賀1-14)。

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劇団芸術劇場 永代リバースポット(江東区佐賀1-8)。

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赤穂義士休息の地(江東区佐賀1-6-2)。 

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豊海橋を渡ってすぐ、日本銀行発祥の地。
 

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高尾稲荷神社(日本橋箱崎町10-6左)。

高尾稲荷社の由来

 万治二年十二月(西暦一、六五九年)江戸の花街新吉原京町一丁目三浦屋四郎左衛門
抱えの遊女で二代目高尾太夫、傾城という娼妓の最高位にあり、容姿端麗にて、
艶名一世に鳴りひびき、和歌俳諧に長じ、書は抜群、諸芸に通じ、比類のない
全盛をほこったといわれる。
生国は野州、塩原塩釜村百姓長助の娘で当時十九歳であった。
 その高尾が仙台藩主伊達綱宗侯に寵愛され大金をつんで身請けされたが、
彼女にはすでに意中の人あり、操を立てて侯に従わなかったため、ついに怒りを
買って隅田川の三又(現在の中州)あたりの楼船上にて吊り斬りにされ川中に
捨てられた。
 その遺体が数日後、当地大川端の北新堀河岸に漂着し、当時そこに庵を構え
ていた僧が居合わせて引き揚げ、そこに手厚く葬ったといわれる。
 高尾の可憐な末路に広く人々の同情が集まり、そこに社を建て彼女の神霊
高尾大明神を祀り高尾稲荷社としたのが当社の起縁である。   
現在この社には、稲荷社としては全国でも非常にめずらしく、実体の神霊
(実物の頭蓋骨)を祭神として社の中に安置してあります。
 江戸時代より引きつづき 昭和初期まで参拝のためおとずれる人多く、
縁日には露店なども出て栄えていた。
懸願と御神徳
 頭にまつわる悩み事(頭痛、ノイローゼ、薄髪等)商売繁昌、縁結び、学業成就。
◎懸願にあたりこの社より櫛一枚借りうけ、朝夕高尾稲荷大明神と祈り、
懸願成就ののち他に櫛一枚そえて奉納する習しが昔から伝わっております。
 高尾が仙台侯に贈ったといわれる句
  「君は今駒形あたり時鳥」

 辞世の句
  「寒風にもろくも朽つる紅葉かな」

 昭和五十一年三月 
箱崎北新堀町々会


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旧日本銀行跡地から掘り出された御影石を神社の標柱にしたわけだ。
  1. 2008/12/03(水) 15:14:35|
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江東区・平久橋と洲崎神社の波除碑 2008年12月2日(火)

本日も神社めぐりでしたが、この項目は独立したエントリーとします。


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東京都指定有形文化財(歴史資料)

波除碑(なみよけのひ)

所在地 江東区深川牡丹三-三三
平久橋西詰地
指定 昭和十七年九月

寛政三年(一七九一)九月深川洲崎一帯に襲来した
高潮によって付近の家屋がことごとく流されて多数の
死者、行方不明者が出た。
 幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から西のあた
り一帯の東西二百八十五間、南北三十余間、総坪数五
千四百六十七余坪(約一万八千平方メートル)を買い上
げて空き地とした。そして空き地の両端の北地点に波
除碑を二基 建てた。当時の 碑は地上六尺、角一尺であ
ったという。
 碑はほとんど旧状を失っており、特に平久橋碑は上
部約三分の二を失っている。位置は旧地点を若干移動
しているものと思われる。
 建設は寛政六年(一七九四)頃。碑文は伝屋代弘賢、
品質は伊豆ケ村石(砂岩)。
総高百三十・八センチメートル。

平成十二年三月 設置
                   東京都教育委員会


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津波警告の碑
一面
寛政三年九月四日暴風雨による津波が襲来したこの付近一帯の家屋
も住民も海中に押し流されて被害はなはだしく以来幕府はこの付
二面
近を空地とし家屋を建てることを禁じ津波襲来を警告して寛政六
年今の洲崎神社と平久橋付近の二箇所に津波警告の碑をた
三面
てた両碑は大正十二年震災と昭和二十年戦災によって破損した
              昭和三十三年十月一日 江東区第三号




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平久橋の碑をあとにして橋を渡り、ほぼ直進して三ツ目通りの先に洲崎神社が見えてくる。


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東京都指定有形文化財(歴史資料)

波除碑

所在地 江東区木場六-一三 -一三 洲崎神社境内
指定 昭和五一年六月 四日

 寛政三年(一七九一)九月四日、深川洲崎
一帯に襲来した 高潮によって付近の家屋がこ
とごとく流されて多数の死者、行方不明者が
出た。

 幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から
西のあた り一帯の東西二八五間、南北三〇余
間、総坪数五,四六七余坪(約一万八千平方メ
ートル)を買い上 げて空き地としこれより海側
人が住むことを禁じた。そして空き地の東北
地点(洲崎神社)と西南地点(平久橋の袂)
に波 除碑を建てた。当時の 碑は地上六尺、角
一尺であ ったという。
 石碑は砂岩で脆く、震災と戦災によって破
損が著しい。現在地は原位置から若干移動 し
ているものと思われる。
 建設は寛政六年(一七九四)頃で碑文は屋
代弘賢によるものと言われている。
  平成四年三月三一日 建設
            東京都教育委員会



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津波警告の碑の文面は平久橋と同じ。ただしこちらは江東区第四号 。

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碑文は十方庵敬順が『遊歴雑記』に記録しているが、
以下孫引きのため仮記載です。

此処寛政三年波あれの時家流れ人死するもの少なか
らず此後高なみの変はかりがたく流死の難なしといふべ
からず是によりて西は入船町を限り東は吉祥寺前に至
る迄凡長さ二百八十五間余の処家居取払いあき地に
なしおかるるもの也寛政六年甲寅十二月日


この高潮災害について、ネットで情報を得ようとしても無駄でした。
足で歩くこととしかるべき文献に当たることに勝るものはありません。
こんなとき『東京市史稿』があればよいのですが、手許にあるものでは。
『武江年表』(ちくま学芸文庫『定本武江年表』今井金吾校訂)から引きます。

○九月四日(陽暦10月1日)、大嵐、昨夜中より大雨、南風烈く、八月より強し。
巳刻、高潮、深川洲崎へ漲りて、あはれむべし、入船町・久右衛門町壱丁目弐丁目と唱へし吉祥寺門前に建つらねたる町家、住居の人数と共に一時に海へ流れて、行方を知らず。弁才天社損じ、拝殿・別当所、其外流失。其かへしの浪、行徳・船橋塩浜一円につぶれ、民家流失す。其外諸方家屋吹損じ、川々水溢る。昼時にいたり潮引く。関東筋すべて洪水あふる(諺に云、蟹陸へ多く這上るは、津波の兆也と。此時既にしかりといへり。心得べし)。洲崎の地、其后高浪の変計りがたしとて、西は入船町限、東は吉祥寺門前に至る迄、凡長弐百八十五間余の家居を取はらひ、畾地になし置る(此内、西のかた入船町跡は、渋江氏薬草栽付場となれり)。
 筠庭云、九月三日雨ふり、その夜、大風雨。四日、雨小ぶりになりしかど、風猶はげしく、巳刻頃、大ぶりとなり、八月六日夜よりは強く、昼より晴。此節、廻船三艘吹流し、永代橋を突抜け、一艘は橋間にかゝり、二艘は中洲まで流る。橋間にかゝりし船は、八月六日、相川河岸に吹上られたるが、深みに出し兼てありしを、又々風波の為に深みに出たり。是ばかりはこぼれ幸といふべし。又、新堀御舟倉吹潰し、洲崎辺は先の嵐に残りたる人家残らず流失。八月の水より一尺余も高し。

(中巻 pp.126-7)
  1. 2008/12/02(火) 22:33:41|
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