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日本橋小舟町と神田界隈 2008年10月29日(水)

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中央通り、千代田区と中央区の境界。かっての竜閑川を昭和通り方面に見る。

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10月20日(月)から本店での営業を再開した「室町砂場」。
玄関と帳場の位置が変わった。「てん茂」を過ぎ、
工事中の千疋屋日本橋ビルの裏手を通っていたら、

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福徳神社の表記があった。施錠された中に社があるのだろう。
日本橋小舟町の「清寿軒」でどら焼き買おうとしたら、もう小判
しかなかった。12時半なんだけど。

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堀留町の出世稲荷を再訪する。うっかりしていたが、
木遣り塚って、神楽桟(木製のウインチ)でした。
一區八番組(は組)中西良之助 奉納。

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堀留公園はもとの東堀留川(運河)を中心線にしており、南を向くと奥のビルが
斜めに見えて、運河のカーブが日本橋川につながっていた様子を思い描くこと
ができる(あ、どこにもピンが来てない、撮り直しだ)。

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北は日本橋保険センターの通り抜け通路となっている。

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南向き。背後と左手が堀留町、右が小舟町。運河はここまでと考えていいと思う。

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宝田恵比寿神社。

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再び千代田区-中央区境界を。大門通りの先で竹森神社に突き当たる。
昭和通りから東の境界に、ほかに神社はなかった。

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炭火焼肉寿々(千代田区東神田1-14-14 )わきに鳥居が!
亀嶋神社。平成五年の鳥居建立にエトワール海渡の名がある。

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柳原通りに出て、これも再訪となる東神田2-9-9隣の神社名を
住民にお聞きして清水稲荷と判明。
(追記:清水扇稲荷というのが正規の社名のようだ)

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なんで気がつかなかったかな、お狐さんいるじゃない。門柱に世話人 十二世 甚五郎 とある。

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二点写真追加(参考:江戸消防記念会
左から一區十番組、七番組、九番組、八番組、六番組。
五番組、四番組、三番組、二番組、一番組の纏。

江戸消防記念会のページから。
一番組(よ組)、二番組(い組)、七番組(に組)、八番組(は組)の四組は
神田明神が氏神である。一番組には他に一部柳森神社の氏子町内がある。
三番組(ろ組)、四番組(せ組)、五番組(も組)、九番組(百組)の四組は
山王日枝神社が氏神となっている。


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岩本町の金山神社に行ってから、神田美倉町、神田西福田町、神田紺屋町、
神田北乗物町、神田東紺屋町、神田富山町回ってただ一つの神社もなかった。

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[日本橋小舟町と神田界隈 2008年10月29日(水)]の続きを読む
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  1. 2008/10/30(木) 00:00:57|
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銀座八丁神社めぐりとか 2008年10月28日(火)

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ソニービルの壁面のアート。いまいちだな。
並木通りの空也もなかで予約のもなかを購入。もちろん本日も売り切れ。

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ついでに跡地めぐり。バブル華やかなりしころ、高級洋菓子店として有名だった
「エル・ドール」(銀座6-5-8エルドールビル)。いまは「すし好」か、あれ?知らずに
来たことあったみたいだな。
おつぎは「きよ田」(銀座6丁目3−15長谷ビル)の路地。

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居抜きで「新きよ田」だったのが「きよ田」になっている。
むかしは数寄屋通りの角が更地になっていて、長谷ビルの側面が
見えていたが、さすがにビル建っているな。

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資生堂本社の成功稲荷神社。資生堂のおねいちゃんに石鹸もらったので、
銀座八丁神社めぐり、やってみることにする。うわあ、幔幕に資生堂のマーク!

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交詢社の前を過ぎる。

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松坂屋屋上の護稲荷神社。

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三原小路のあづま稲荷神社。

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宝童稲荷神社。

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松屋銀座屋上の龍光不動尊。

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銀座3丁目松屋通りの朝日稲荷神社。

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三越本館屋上の銀座出世地蔵尊。右端には三囲神社。

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出世地蔵尊は御開帳してますと言われたが、普段は閉まっているのかな。

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銀座出世地蔵尊 縁起
 銀座三越屋上に安置まします銀座出世地蔵尊は、明治のはじめの頃、三十間掘より出世したと云われております。当時、地元の鳶職が銀座四丁目三番地辺(現在の七番地)の空地へ安置しましたところ、道行く人々や近隣の信心篤い人達が花やお団子を供え参詣するようになりましたが、やがてこの地蔵尊は開運・出世・延命・商売繁盛のあらたかな御利益があると云うので、お堂も小屋から木造になり毎月七日、十八日、二十九日がご縁日にきまりました。ご縁日には、いろいろな露店が出て非常な賑わいを呈して参りました。これが銀座八丁露店のはじまりと云われております。四月八日の釈迦降誕生日には甘茶の接待などがあり広く参詣者に親しまれましたが、その後震災・戦災などで火をくぐり、波乱曲折を経てこの度、銀座三越が新築するに際して元の「美松」跡より屋上に移し、築地本願寺により開眼法要を行い、新たな堂守に安置し銀座八丁目の守り本尊として銀座の街の人々を中心に広く一般のご参詣を受けることになったのであります。ご利益を祈願して成就せざることなしと伝えられる銀座出世地蔵尊の広大なる恩恵に浴するため一人でも多くのご参詣あらんことを願うものであります。
 昭和四十三年十月                   
 銀座出世地蔵尊奉賛会


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銀座出世地蔵尊
所在地 中央区銀座4ー6 三越銀座店屋上

銀座出世地蔵尊の縁日といえば、その賑わいは大変なもので、明治・大正・昭和の初期にかけて夜店とともに銀座を代表する風俗であり、銀座について書かれた書物にもよく触れられ、その様子をうかがい知ることができます。
地蔵の由来について、明治九年七月二十二日の『郵便報知』には「銀座三丁目の横町に此程流行する地蔵ハ去る文久元年酉年七月十八日三十間堀壱丁目六番地先き古土蔵取繕の節同所鳶頭田中善太郎が地中より掘出し・・・・」とありますが、詳しくは不明な点が多く、また、「出世地蔵」という名称のいわれも諸説あって、その時期についても不詳です。
この銀座出世地蔵尊は、時代の変遷の中で煉瓦街や夜店が失われた現在の銀座において、明治からの面影を伝える貴重なもので、中央区民有形民俗文化財に登録されています。
平成七年三月
中央区教育委員会


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七社めぐり終えて集印帳をソニービルに持参すると、先着1000名に
来年の干支、牛の土鈴がもらえるのであった。

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地下鉄で浅草に移動して浅草文化観光センターに立ち寄り、
並木藪でざる一杯700円。浅草通りを上野駅に向かう。

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比留間歯科医院(台東区東上野4-1-5)。1929年(昭和4年)竣工。

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本日の戦利品。各神社でいただいたもの。自宅用の空也もなか。

  1. 2008/10/28(火) 23:22:07|
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京都 時代祭 完全版 2008年10月22日(水)

注:このエントリーはまだ写真の選択と解説が済んでいません。

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御苑九条池の厳島神社。破風形鳥居。場所取りはすんでいるので、
近所のガストで休んでいました。
半袖だったので朝はけっこう寒かった。

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10時すぎ、境町御門から行列が入ってくる。

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維新勤皇隊は笛太鼓の鳴物入りで。

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新聞社の脚立も揃うころ、朝は晴れていたのに雲に覆われてしまった。

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[京都 時代祭 完全版 2008年10月22日(水)]の続きを読む
  1. 2008/10/27(月) 00:04:49|
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京都 時代祭 2008年10月22日(水)

たまたま西宮への用事があり、とんぼがえりで時代祭りを見に京都に入りました。
葵祭りの体験から、場所取りの時間は読めていたのですが、先客がいらしたのに
は驚きました。建礼門の真正面は魅力ですが、わたしは結局葵祭りと同じ位置に
陣取ります。マスコミ各社の大脚立があとから背後に林立する場所なので、多数決
みたいなもんですが。

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アートをめざしているわけではないので、記録という観点から行列を網羅すべきなの
ですが、まだ気分的に旅疲れのさなか、しばらくは先延ばしです。
いくら記録とは言っても、それなりに見栄もあるし、より良いカットでお見せしたいのも
人情ですが、じつはあんまりよろしくはなかったので。


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メインの機材は Fuji FinePix S3Pro/AF Nikkor 24mm-85mm でしたが、テレ側の
合焦がうまくない。それ以前にこのレンズの画角がわたしの見栄には向いていなか
った。いやそれは葵祭りのときに気づけよと言われればその通り、網羅的に撮影す
るには最適であるということと、撮っていて楽しいかどうかは別の話なんですね。
今回はサブに使用した Fuji FinePix S1Pro/AF Nikkor 300mmF4 の写真をあげて
あります。 実質の画角が300mmだったらもっと使いやすかったのですが、とにかく
楽しい。行列は圧縮してナンボですな。つぎの機会があったら記録に呪縛されず、
長玉のみで楽しみたいものです。

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このごろ痛感するのですが、東京散歩でも記録に呪縛されて、建築物を全景に納め
ようとか、なんでも真正面にとか、つまらん縛りに拘泥されすぎていました。
散歩中、アートのために費やす時間はないが、楽しむ時間ならいくらでもあるはずです。

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  1. 2008/10/25(土) 19:34:32|
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ちよだ江戸祭2008 2008年10月20日(月)

お使いもので頼まれて、錦豊琳のかりんとうを買いに東京駅地下の
グランスタに行きました。ちょうど行こうと思っていた催しが丸ビルで
やっていたのでどちらがついでかわかりません。

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ちよだ江戸祭2008 10月16日(木)~22日(水) 丸ビル1Fマルキューブ

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伊弉那岐尊の人形 千葉県香取市 佐原田宿 

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関羽の人形 栃木県栃木市 万町二丁目 

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神功皇后の人形 埼玉県本庄市 上町 

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【神輿】千代田区 鍛冶町二丁目町会 宮惣作2尺6寸

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加藤清正の人形 静岡県富士宮市 湧玉神立 

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諫鼓鶏の人形 埼玉県寄居町 茅町 

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八幡太郎義家 千葉県佐倉市 弥勒町 

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源頼義の山車 港区 NPO赤坂氷川山車保存会
 
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丸の内ビル南の外構にデ・リーフデ号の碑を発見。

本彫刻は昭和55年4月22日、オランダ王国ファン・アフ
ト首相来日の際、同首相よりオランダ国王政府に代わり、日
本国政府に対し寄贈されたものである。
本彫刻のモデルとなった蘭船デ・リーフデ号は、1600年4
月19日、豊後臼杵湾北岸佐志生(現在の大分県臼杵市)に漂
着したが、同船の乗組員であったオランダ人ヤン・ヨース
テン・ファン・ローデンスティンは、時の将軍徳川家康に
顧問として仕え、わが国ではその名も八重洲として知られ
将軍よりこの地に住居を与えられていた。


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ルーク・ファン・ミュールス作 1980年
どうも丸の内2丁目三菱電機本社ビル前から丸の内八重洲ビルヂング内と流転してきたらしい。 [ちよだ江戸祭2008 2008年10月20日(月)]の続きを読む
  1. 2008/10/20(月) 17:09:02|
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黒耀石を求めて和田峠ツアー 2008年10月17日(金)

浅間山ミュージアムから2日前に連絡があったので、急遽日帰り参加。
講師K先生および6名。

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嬬恋集合で、現地まで2時間ほどの行程になる。途中で見かけたパチンコ店遺跡。
長野県小県郡長和町大門の、「星くずの里たかやま黒耀石体験ミュージアム」に到着。
じつは露頭に行くものと思い込んで、鉱物ハンマー持参だった。

星糞峠なのに星くずの里というのはいかがなものか。

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アメリカ西海岸、けっこう産地なんですな。黒耀石のヤジリ作り体験、
北海道産と聞いてわたしはやめました。たのしそうなんだけどね。

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隣接して「明治大学黒耀石研究センター」という立派な箱モノがあり、
その横に鹿児島県大口市五女木産黒耀石の大きいのが三つ。

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解説板の足元の黒耀石。クローズアップは最大の黒耀石で、
表面の風化具合がよく侘びて好ましい。

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ミュージアムから連絡してもらい、研究センターも見学。
なんと人員一名、山科さん、ありがとうございました。

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黒耀石のごろた石。


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7月に第4回黒耀石のふるさと祭り というのがあって、そのときの企画展で
作られた旧石器時代の住居。鹿皮も熊皮も借り物らしいのでいつまであるか。
マンモスの骨で思わず “シベリアか!”という突っ込みはなしです。

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クマー

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帰りの車窓から、一本木諏訪神社(扁額は諏訪宮)。上田市腰越字一本木164。
K先生からご自宅にある黒耀石を頂けるということになりました。

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うまいことにほぼ均等に三分割されて分配。わたしがいただいた分は465gありました。
むかし和田峠近辺の縄文ゴミ捨て場で拾得されたものということらしいです。
K先生ありがとうございました。夢のような僥倖です。
  1. 2008/10/17(金) 21:06:24|
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浅草寺昭和本堂落慶50周年「記念大開帳」2008年10月16日(木)

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10月15日(水)~11月16日(日)にかけて金龍山浅草寺は
昭和本堂の落慶50周年記念の大開帳を行う。
6時半からの法要にあわせて早朝に着く。さすがに人はすくない、空気はうまい。


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大わらじは10月26日に交換。
[浅草寺昭和本堂落慶50周年「記念大開帳」2008年10月16日(木)]の続きを読む
  1. 2008/10/16(木) 20:34:18|
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千代田区岩本町お玉が池・種痘所跡 2008年10月10日(金)

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岩本町2-7 -11 加島ビル壁面(上から)

  江戸最初のお玉ヶ池種痘所跡のあった所
             お玉ヶ池史蹟保存会


   お玉ヶ池種痘所
お玉ヶ池は徳川初期には不忍池ほどの広さであったのが安政のころには小さなものに
なり現在はそのあとかたもなく史蹟としてお玉稲荷が祀ってあるだけです
 一時は池のほとりに
  梁川星巌の玉池吟社
  市川寛斎の江湖詩社
  大窪詩仏の詩聖堂
  東條一堂の瑶池塾
  佐久間象山の象山書院
  剣士千葉周作の道場玄武館
  磯又右衛門の柔道道場
  永坂石埭宅 清元太左衛門宅など 文武の華が咲きほこりました
この標柱の場所は勘定奉行川路聖謨の屋敷内に設けられたお玉ヶ池種痘所があった
ところで東京大学医学部発祥の地です 同学部は昭和33年に迎えた創立百年の記念に
昭和36年文化の日お玉ヶ池種痘所記念碑と同時にこゝに元標を立てられました
                                       お玉ヶ池史蹟保存会

お玉ヶ池種痘所跡
  神田お玉ヶ池松枝町続元正眼
  寺前勘定奉行川路聖謨屋敷内
          東京大学医学部
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繁榮お玉稲荷大明神  わきに厳重に柵をめぐらした旧社あり。ガスの検針が大変そう。

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お玉ヶ池種痘所 (「ふな亀」」岩本町2-5-9 壁面のプレート)

いまから百十年まえ 一八五八年・安政五年五月七日
このちかくに お玉ヶ池種痘所ができました
それが発展して いまの東京大学医学部になりました
すぐそこにある記念碑は そのゆかりですえられたのです
一九六八年・昭和四十三年五月七日
東京大学名誉教授 緒方富雄

お玉ヶ池種痘所の記念に (岩本町3丁目交差点歩道上)

一八五八年・安政五年五月七日 江戸の蘭學醫たちが資金を出しあつてこの近くの川路聖謨の屋敷内に種痘所を開いた。これがお玉ヶ池種痘所で江戸の種痘事業の中心になった。ところがわずか半年で十一月十五日に類焼にあい下谷和泉橘通へ移つた。この種痘所は東京大學醫學部のはじめにあたるのでその開設の日を本學部創立の日と定め一九五八年・昭和三十三年五月七日創立百周年記念式典をあげた。いまこのゆかりの地に由来を書いた石をすえまた別に種痘所跡にしるしを立てて記念とする。 一九六一年十一月三日 昭和三十六年文化の日。 東京大學醫學部

*************************
沿革

安政5年(1858年) 5月神田お玉ヶ池種痘所を設立
文久元年(1861年)10月西洋医学所と改称
3年(1863年) 2月医学所と改称
明治元年(1868年) 7月横浜軍陣病院を神田和泉橋旧藤堂邸に移転、これを大病院と称し、
医学所は大病院に附属
2年(1869年) 2月医学所は、大病院と合併し医学校兼病院
12月大学東校と改称
4年(1871年) 7月東校と改称
5年(1872年) 8月第一大学区医学校と改称
7年(1874年) 5月東京医学校と改称
9年(1876年)11月東京医学校校舎、寄宿舎及び病院を本郷本富士町旧加賀藩邸内に新営、移転
10年(1877年) 4月東京開成学校と東京医学校を合併、東京大学となり、
病院は東京大学医学部附属病院と改称
11年(1878年)11月神田に附属病院を設立し、医学通学生の臨床講義用患者収容所に当て、
第二医院と称し、本郷の医院を第一医院と称す
19年(1886年) 3月東京大学は帝国大学、医学部は医科大学となり、第一医院及び第二医院は、
帝国大学医科大学附属第一医院及び第二医院と改称
26年(1893年) 9月帝国大学医科大学附属医院と改称
30年(1897年) 6月東京帝国大学医科大学附属医院と改称
大正8年(1919年) 4月東京帝国大学医学部附属医院と改称
昭和22年(1947年)10月東京大学医学部附属医院と改称
24年(1949年) 5月東京大学医学部附属病院と改称 
当時の診療科等/ 内科(3)、物療内科、外科(2)、整形外科、産婦人科、小児科、
眼科、皮膚科、泌尿器科、精神神経科、耳鼻咽喉科、放射線科、歯科口腔外科、
輸血部、薬剤部
http://www.h.u-tokyo.ac.jp/outline/pdf3/youran_05-06.pdf

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千葉周作玄武館跡は一八通りの小学校跡の正門内にある。

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神田東松下町45-1の神田金子ビル公開空地にある小社。個人のお社で名称は不明とか。
  1. 2008/10/11(土) 14:54:15|
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中央区日本橋茅場町・兜町・堀留町  2008年10月10日(金)

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銅造地蔵菩薩立像
 関東大震災による日本橋魚河岸の犠牲者の供養のため、魚河岸の依頼により
戸張孤雁(1882~1927)が制作して、昭和2年に完成しました。
地蔵菩薩は2mを越えるブロンズの立像で、屋外に安置されています。
孤雁は日本橋魚河岸の魚茶屋に生まれ、日本近代彫刻史に重要な位置を占める
彫刻家です。生まれ育った日本橋に残る作品としても重要なものです。

http://www.city.chuo.lg.jp/info/bunkazai/bunka046.html

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 智泉院は、茅場町薬師と呼ばれ、江戸の著名な寺院として人々の信仰を集めていました。
 この鉄製天水鉢は、天保12年(1841)4月に、薬師如来が開帳されたのを記念して、地元
の坂本町より奉納されたもので、町に住んだ人々の名を残しています。
 鋳造した釜屋七右衛門も釜七と呼ばれる江戸で名の知れた鋳物師です。
 茅場町薬師の江戸名所としてのにぎわいを、今日に伝えています。

http://www.city.chuo.lg.jp/info/bunkazai/bunka028.html

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石柱に東京民友新聞と中央タイムスとあった。でも検索に全然出ないんだが。

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摂社山王日枝神社(お旅所)

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寛永十二(一六三六)年に永田町日枝神社の御旅所
山王宮として勧進された。御旅所とは、神輿が八丁堀鎧
島まで船で移動して氏子各町を巡回した後、暫時留まっ
て神事を営む場所。当時境内は一三〇〇坪余、山王宮、
山王権現、天満宮、薬師堂があったが、明治初期の神仏
分離令によって薬師堂は敷地外に分離、明治十年、山王
宮改め日枝神社なった。関東大震災のあと昭和三年に造
営されたコンクリート造り社殿は戦災に会い、昭和四十
一年に屋根の葺替えなど大修理が施されている。境内に
ある明徳稲荷は、証券会館を建てる時にここへ移された
もので、囲いの石柱には往時を偲ぶ懐かしい証券会社の
名が残されている。稲荷神社遷座の経緯は鳥居脇の「大
部芳之助氏顕彰碑」に詳しく記されている。
日枝神社の裏に出ると、その薬師堂、天台宗鎧島山智
泉院がある。


http://www.jsec.or.jp/book/pdf/078kikanshi_zuisou06.pdf

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明徳稲荷。東京証券取引所あれば山一證券あり。

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鎧橋から上流を望む。このあたり、江戸湊の輪郭を残しているとか聞いた。
東京証券取引所の玄関は道路越しでも入りきらない。人がごみのようだ。

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兜神社。株屋が昼休みを過ごせるような広場だとばかり思い込んでいた。

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そうそう、これが兜岩。 
解説板がかすれてほとんど読めないが、写真判読で文字起こししておく。

兜神社の由来
一、御社号 兜神社
二、鎮座地 中央区日本橋兜町一番十二号
三、御創立 明治十一年五月(一八七八年)
四、御祭神 主なる祭神は商業の守護神をたた○○○
        倉稲魂命である
        合祀の神は右に大国主命左に事代主命である
五、御例祭 毎年四月一日
六、御由緒 明治十一年ここ兜町に東京株式取引所
       (東京証券取引所の前身)が設けられるに
       当たり同年正月取引所関係者一同○
       信仰の象徴および鎮守として
       兜神社を造営した
       御社殿に奉安してある、倉稲魂命
       の御神号は時の太政大臣三條實美○
       揮毫になるものである。
       当社は御鎮斎後一度換地が行われた
       昭和二年(一九二七年)に再度換地を
       行ない兜橋々畔の現在地約六十二坪
       (約二0五平方米)を卜して同年○○
       御遷座を行ない鉄筋コンクリート造りの
       社殿を造営した。
       昭和四十四年(一九六九年)五月高速
       道路の建設に伴い御影石造りの
       鳥居を残して旧社殿を解体し 同
       四十六年(一九七一年)三月○○○
       鉄筋コンクリート。一間社流造○○○
       付きの社殿を造営した。
       屋根は銅板葺とし、玉垣・参道・○○
       などは御影石をもちいた。

七、兜岩の由来 境内に安置してある兜岩については
           その昔前九年の役(一0五0年)○○
           源義家が東征のみぎり、この岩に○○
           懸けて戦勝を祈願したことに由来
           すると伝えられ、兜町という町名は
           この「兜岩」に因んで付けられたといわれている。
           昭和六十年六月 
           兜神社世話人一同

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「さるや」の前を通り、「清寿軒」は3時15分でどら焼き売り切れ閉店。

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日本橋堀留町1丁目のマンションの奥に出世稲荷大明神。
岩代稲荷神社と合祀されていた。入っていくとランプがつきます。

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手水鉢とともに「は組」の木遣り塚。

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椙森神社(日本橋堀留町1-10-2)。べったら市の準備中で雑然としていた。

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  1. 2008/10/11(土) 14:46:35|
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中央区新川(霊岸島・新川・越前堀) 2008年10月10日(金)

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 徳船稲荷神社縁起

徳川期この地新川は、越前松平家の下屋敷が三方掘割に囲われ、広大に構えていた(旧町名越前堀はこれに由来する)。その中に小さな稲荷が祀られていたという。御神体は徳川家の遊船の舳を切って彫られたものと伝えられる。明暦三年、世に云う振袖火事はこの地にも及んだが御神体はあわや類焼の寸前難を免れ、大正十一年に至るまで土地の恵比須稲荷に安置された。関東大震災では再度救出され、昭和六年隅田川畔(現中央大橋北詰辺り)に社を復活し町の守護神として鎮座したが、戦災で全焼。昭和二十九年同処に再現のあと平成三年中央大橋架橋工事のため、この地に遷座となる。例祭は、十一月十五日である。
                            新川二丁目越一町会崇敬会

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 於岩稲荷田宮神社は、四代目鶴屋南北の「東海道四谷怪談」の主人公お岩の伝承を持つ神社です。享保2年(1717)にお岩の住居であった四谷の左門町に祭られ、明治12年(1879)に現在地(当時の越前堀1-4)に移転しました。
 役者や芸妓の参けいが多く、明治から大正年間にかけて門前に茶店も出来て賑わいました。
 境内の白狐社の社前にある鳥居は、明治30年(1897)に田岡栄より寄進されています。小ぶりながら神明鳥居という古い形式の石造の鳥居で、下部に花形の根巻きと四角い台座がついています。
 当社は大正12年の関東大震災および昭和20年3月の空襲で全焼しましたが、この鳥居は焼損等もなく、明治時代より現在に続く人々の信仰を伝えています。

http://www.city.chuo.lg.jp/info/bunkazai/bunka056.html

 本殿向かって右に位置する百度石は、大正3年(1914)8月大阪浪花座で、四谷怪談のお岩を演じた四代目市川右団次が、お岩ゆかりの当社に奉納したものです。
 市川右団次(1881~1936)は市川斎入を父として、明治14年本名の右之助で初舞台を踏み、お岩・児雷也などを当たり役として、明治から昭和初期にかけて、大阪を中心に活躍した歌舞伎俳優です。
 百度石は田宮家の陰陽勾玉の家紋を型どった丸石をのせた石角柱で、願をかけて百回往復して参拝する目安となっています。お百度参りの信仰は大正の頃に盛んとなり、戦前・戦後を経て、今日まで続いています。芝居との深い関わりをもつ当社に残された、歌舞伎とのつながりや人々の信仰の姿を伝える貴重な文化財です。

http://www.city.chuo.lg.jp/info/bunkazai/bunka057.html

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金刀比羅神社


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新川大神宮


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大榮稲荷神社

  1. 2008/10/11(土) 13:42:54|
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待乳山聖天 今戸神社 黒船神社 宗吾殿  2008年10月3日(金)

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駒形橋西詰めの駒形堂。

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駒形堂わきに浅草観音戒殺碑。

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待乳山聖天 正式には待乳山本龍院。大根と巾着がシンボル。

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歓喜地蔵尊

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本堂の後ろに稲荷社がある。問い合わせて待乳山稲荷とわかる。

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この階段はかって天狗坂と呼ばれていた所で、竹屋の渡しに続いていたとか。
山谷堀の跡の公園に今戸橋の標識のみ残る。

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慶養禅寺

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こちらは本龍寺。本堂の龍の彩色と造型が以外とすごい。

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今戸神社。境内がいやにだだっ広い。

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言問橋の橋脚では作業船のフーカー潜水の通話が聞こえる。

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寿4丁目の黒船稲荷。かなり痛んでいるが木彫がすばらしい。

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すぐ近くにあった宗吾殿。佐倉の惣五郎を祭ってあるのか。

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  1. 2008/10/03(金) 21:50:28|
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