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見たものの記憶。見るものの記録。

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下社御柱祭 山出し 2010年4月9日(金)

春宮四の御柱
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木落し坂の上の見物人はおそらく誰も御柱を見ていないと思われる。
脚立の上に立ったわたしでさえ、これがやっとでした。つづく

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[下社御柱祭 山出し 2010年4月9日(金)]の続きを読む
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  1. 2010/04/09(金) 20:02:41|
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大瀬まつり 2010年4月4日(日)

教訓:海の写真は水平線だけを見ろ。

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西伊豆大瀬崎の大瀬神社祭礼、大瀬まつり。満艦飾の漁船が湾内に集合します。
ここはわたしのダイビングポイント、前にまつりを撮影したのは銀塩のころでした。

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とりあえず2枚アップして明日を期す。
女装した漁師がちゃんちゃらおかしと勇み踊りを披露する。

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正しくは延喜式内引手力命神社。マンボウ前の桟橋には前日から
台船が接岸されていて、参拝船団が集結する1時間ほど前に接岸
した船からは、宮司一行が下船します。兼務社がどこか、聞きそび
れてしまいました。

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女装の一行も神社に向かい、女装参拝です。どううやら明治時代
起源らしいのですが、山梨のおみゆきさんもそうですね。東京では
雷の大般若とか、詳しく知るための手がかりがまだ見当たりません。

[大瀬まつり 2010年4月4日(日)]の続きを読む
  1. 2010/04/04(日) 21:18:34|
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渡良瀬遊水地ヨシ焼き 2010年3月27日(土)

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3月21日(日)が中止だったので本日がヨシ焼きでした。
8時30分開始予定ですが、ヨシの乾きが悪かったために、
10時開始に変更されました。それでも燃え付きは良くあり
ませんでした。地獄絵図の光景を期待していたのですが。
  1. 2010/03/27(土) 18:57:24|
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長津田の王子神社と大林寺 2009年11月28日(土)

長津田 王子神社(横浜市緑区長津田7-5-34)
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 環境霊園 横浜みどりの里で法事があり、送り迎え
の間に近場をめぐってまいりました。
鳥居の前に樅の木が立っています、もとは二本あった
そうです。鳥居は昭和六十二年十月二十日、
岡部喜代 キク夫妻の、結婚六十年長洲神奈川県知事
より金銀杯拝受記念で建立されたものでした。
植込みで隠れているのはもったいないですね。
旧社殿は狩野川台風で大きな被害を蒙ったようです。

王子神社社殿造営記念碑
王子神社は 江戸時代の初期 長津田の領主 岡野平兵衛房恒によって創建され 以来長津田の鎮守として 私達の祖先が代々守り続けてきた由緒ある社です 草葺きの大きな社殿でしたが  昭和三十三年九月の台風に伴う豪雨の際 裏山が決壊してその土砂により大きな被害をうけました 間もなく社殿は世話人氏子の努力により復旧されましたが 当時の経済社会情勢から暫定的な建物とし 時期をみて造営する意向であったと云われております
その後造営に関する提案もありましたが 諸般の事情もあり造営の気運に至らず内装の修理女坂の舗装等を行い神殿の護持運営に努力してきました 然しながら社殿の老朽化は進み造営をせざるを得ない状況に立ち至っておりました
このような折 氏子の中で夙に敬神の念が篤い岡部喜代氏から昭和五十四年に喜寿の祝い 五十八年に結婚五十七年を記念して それぞれ五百万円計壱千万円が神社造営資金として寄進されました これを機に五十八年七月二十九日王子社奉賛会において新社殿造営の方針を決定し 同年八月二十九日に王子社社殿建設委員会の発足をしました 以来委員会を中心として社殿造営に要する浄財を募ったところ 氏子のみならず 他地区崇敬者の皆様からも多額の御寄進が寄せられ この浄財を基に建設委員一丸となって この大事業に取り組み三年余の歳月を費し ここにめでたくこの事業の完成を見ることができた次第であります
昭和六十一年十月十日
王子神社社殿建設委員会

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神社めぐりをする目的のひとつに、戦後の神社復興を
めぐる動向への興味ということがあります。
歴史を知るためにはわれわれの時代の物語から始めよう。
ということですね。

元宮司小林明美刀自命顕彰碑
昭和六十二年、王子神社氏子並びに崇敬者の方々に御寄進いただき念願の本殿を新築して、更に地域の方々に崇拝される王子神社の興隆を図るには、常勤神職を置くことが必要でありました。当時、王子神社は、神鳥前川神社志田宮司の兼務神社であり相談したところ快く、川岡禰宜のもとで修行していた小林明美女史を派遣されました。小林明美女史は、常に微笑みをもって努められ参拝者の方々に大変慕われました。
また、非常に努力家で國學院大學や各種の研修などに参加し宮司の資格を取得され。神鳥前川神社に戻る時期に、広く知られていない王子神社に、自ら奉仕の心を持って留まることを決断し、正式に王子神社宮司として就任され骨身惜しまず努力し地域から崇拝される今日の王子神社発展の基礎を築かれました。
平成十二年一月十七日、新年初詣の行事も一段落しその疲労が溜まったまま帰宅されるとき、中央林間駅付近道路に於いて不慮の事故に遭い、享年五十七歳の尊い命を落とされました。小林明美元宮司の尽くされた功績は誠に大きく、本殿新築二十年の節目に、氏子一同深く感謝し顕彰碑を建立いたします。
平成十九年一月
王子神社 氏子一同

稲荷神社
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境内社が見当たらないなと思ったら、社務所わきの
階段を登った先にありました。近在の数軒で講社を
護っているようです。

慈雲山大林寺(緑区長津田6-6-24)
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岡野家の歴代の墓所があるそうですが、別当寺では
なかったのですね。水盤舎がこれも岡部夫妻の奉納でした。
昭和六十二年三月十五日建之

慈雲稲荷
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岡野家第三代の房勝は八百屋お七の裁きを行ったということで、
大林寺の前にお七稲荷があると聞いていたのですが、
探し出せませんでした。境内に鳥居があったので墓地を
通ってたどり着きましたが、お寺の庭の一部のようにも
見え、早々に退散しました。
  1. 2009/11/29(日) 15:56:28|
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宝珠花神社 春日部市西宝珠花 2009年11月27日(金)

宝珠花神社(埼玉県春日部市西宝珠花77)

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念願だったのです、やっと行くことができました。
4号線を庄和町に入ったとたん、朝靄で田圃も霞むほどの
視界でしたが、神社はもう幻想的ではありませんでした。

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神社わきに河岸方稲荷。
由緒
この社、河岸方稲荷は、宝珠花村時代に、舟運に繁栄した江戸川に
沿って河岸方組合(現在の上第八組)という組織があり、全員商人
でしたので、商売繁盛を願って建立されたと言い伝えられている。
お社の沿革
お社の創立年代は不詳ですが、移転前、浅間山の中腹に建立されて
いた。
昭和二十八年十月 江戸川の河川改修により現在地に移築する。
昭和四十四年三月 移築してきた、お社は木造の瓦葺きでしたので
老朽化に伴い鉄製造りに改築した。
平成十三年四月 鉄製の、お社も老朽化に伴い白御影石造りに改築
する。更に現在の氏子の家内安全を併せ祈願するものとする。

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春日部市指定有形文化財 宝珠花神社扁額
春日部市西宝珠花七七番地 平成十四年三月二十六日指定

宝珠花神社に伝わる扁額で、寸法は縦九一センチ・横五六センチです。銅版製で、表に「三國第一山」、裏に「武州粕壁住鋳懸師/駒田文吉恐惶謹造/天保四年癸巳正月吉日/不二登山一百二十一度/當所氏子中/行者禄行三志書」とあります。これにより、この扁額は天保四年(1833)西宝珠花の人々が富士登山一二一回を記念して奉納したもので、「三國第一山」は富士山を意味し、行者禄行三志の書体を粕壁の鋳掛師が鋳造したものであることが分かります。
禄行三志は、近世後期鳩ヶ谷宿出身の不二道指導者小谷三志(1765~1841)の行名です。富士塚戸と共に当地域の富士信仰の隆盛を示しており、著名な民間信仰の指導者との関連を示す貴重な文化財です。
平成十四年九月

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燈籠について
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参道鳥居の右の燈籠にはちょっと驚かされました。
階段がついているのも滅多にないことでしょうが、

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それにも勝る驚きは、台石の獅子が格狭間はおろか天
を越えて刻まれていることでした。燈籠はこうした破格を
見ることがほとんどないので、普段はあまり興味がわきま
せん。
文政七歳丁亥六月とあり、石工は東寶珠花 米川彌兵衞。

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百度石の上の猿。

宝珠花神社 所在地 北葛飾郡庄和町西宝珠花七七
宝珠花神社の祭神は、木花開耶姫命、菅原道真公、経津主命、素盞
嗚命の四柱で明治四十年十二月に、浅間社、天神社、香取社、八雲
社を合祀して社号を宝珠花神社と改称する。
各社の創立年代は不詳。江戸川の改修により昭和二十八年六月に、
西方約三百メートルの現在地に移転する。例年、祭礼二月二十五日、
夏祭七月七日、秋祭十月九日が行われる。境内の浅間山は富士山に
模して、一合目から九合目までの標式があり、頂上に浅間大神を祀
り亀岩、烏帽子岩などがある。近郷の人々から浅間様として崇敬さ
れ、七月一日の初山には、子供の成長を願う参詣者で賑わう。夏祭
には、子供たちにより雌雄二頭の獅子が、氏子の各戸を廻り疫病退
散を願い、また当時の江戸川舟運の繁栄をしのばせる大神輿が、若
衆によって勇壮に町内に繰り出される。
昭和六十一年三月
埼玉県
庄和町 [宝珠花神社 春日部市西宝珠花 2009年11月27日(金)]の続きを読む
  1. 2009/11/27(金) 17:45:26|
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